去年の冬になった頃だろうか、何気なく開いた週刊文春に面白いページを見つけた。
伊集院静が連載をしている、「悩むが花」というページである。
この連載は、読者からの質問を伊集院静が軽妙に答えている。
読者からの質問は、確か「宇宙の果てを考えると眠れなくなってしまう」というようなものだった。
その質問に、伊集院静は「人間の人生の明日が誰にも分からないように、宇宙の果てのことも誰にも分からないのです。」と答えたように思う。
私が今までに出会った宇宙の果てに対する説明の中でも、誰にでも分かりやすく、こんな説明の仕方があったのだろうか、と思わずにはいられない回答であった。
カントは、著書『純粋理性批判』で時間と空間を論じ、形而上学を確立しようとした。
形而上学とは、基本的に物理学や自然学を超えるような存在と原理の探求という意味を持っている。(1)
つまり、伝統的に言えば、神・霊魂の不死・宇宙の始まりを問う学問である。(2)
時間と空間で思考する存在が宇宙であれば、カントは、そんなもの自体がどんな様子をしているか、などということは、我々人間には知りえないのである(3)と論じた。
週刊文春で伊集院静が答えたのと同じではないか。
入り口の入りやすい週刊誌の一ページで、哲学にも似た問答を読んで、私は本棚に放ってある『ユリイカ』を思い出した。
1848年にポオが著した『ユリイカ』は、難解な詩的宇宙論として有名である。
国立の古書店で手にとって読み始めたが、その難解さにすぐに本棚へと上げてしまったままであった。
週間文春誌上で、伊集院静が宇宙の果てを簡単に料理するのを読んで、私はもう一度『ユリイカ』に挑戦する気になった。
とにかく我慢しながら、パラグラフの構成が理解できなくても読み進み、なんとか読了する。
本としては薄い装丁なのに、時間がかかった。
読了した直後に、2回目を読み始めた。
物語のランディングを頭に入れながら途中を読み進めると、今度は面白いように内容が頭の中に残っていくではないか。
ポオは、1000年後の2848年の未来から届いた手紙から、『ユリイカ』を始める。
そして手紙の引用が終わり、更なる導入部分でポオは「無限」という概念を論考する。
論考という言葉は、『ユリイカ』には相応しくないかもしれない。
詩的宇宙論と言われ、本人が題名のあとのキャプションに散文詩と銘打つほどなのであるから、「無限」という物語を語り始める、という記述が正しいだろう。
宇宙を語る入り口でポオは「無限」から始めるのである。興味深い文節なので、少し長いが引用したい。
そこで、ただちに、空の空たることば「無限」からはじめるとする。これは「神」とか「霊」とかいったことばと同様に、あらゆる言語に同類が存在するが、それはけっしてある観念の表現ではなく、ある観念をめざす努力の表現なのである。それは把握不能な観念を把握せんとするはかない努力の表出にほかならない。人間はこの努力の方向を示唆することば―――その背後にこのこころみの対象が永遠に隠蔽されている雲を示唆することば―――を必要としたのである。つまり、人間と人間とを結びつけ、同時にその人間たちを人間知性が有するさる傾向によって結びつける一語を必要としたのである。こういう要請から「無限」なることばが生まれたのであり、それゆえにこそ、このことばは思考の思考を表象している。(4)
これはポオによる「無限」の定義である。
「神」や「霊」と同じように、「無限」は人間には理解の及ばない観念である、とポオは表現する。
まるで、明日の人生が人間には分からないのと同様、宇宙の果ては人間には分からない、と言っているのと同じではないか。
最近、宇宙を思考すると、自分なりの宇宙観が芽生えてきた。
われわれ人間は、人間が理解できないような大きく長い時間軸を流れている空間の中で生きている。
宇宙の持っている時間にくらべたら、一瞬も存在しないような時間を生きて死んでいくのだ。
そのことを様々な角度から熟考すると、一つの結論に到達してしまった。
われわれの生きているこの世界、そして自分自身全てが、フィクションではないのだろうか。
われわれを取り巻いている世界全て、空間全て、宇宙全体が、われわれを含めて実体を持っていないのではないか。
このように考えると、宇宙が膨張していようが、無限がどのように存在していようが、われわれが宇宙の中にいようがいまいが、それらが人間の理解に及ばないことであっても、理解の地平線を求めることができるのではないだろうか。
われわれが、フィクションである。
われわれの存在自体が、フィクションである。
このような思考をしながら、世の中を刺激的に生きていこうと考えている。
註
(1) 黒崎政男著 カント『純粋理性批判』入門 p.93
(2) 黒崎政男著 『前掲書』 p.94
(3) 黒崎政男著 『前掲書』 p.104
(4) ポオ著 八木敏雄訳 『ユリイカ』 p.31
(1) 黒崎政男著 カント『純粋理性批判』入門 p.93
(2) 黒崎政男著 『前掲書』 p.94
(3) 黒崎政男著 『前掲書』 p.104
(4) ポオ著 八木敏雄訳 『ユリイカ』 p.31
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参考文献
黒崎政男著 カント『純粋理性批判』入門 講談社選書メチエ 2000年
ポオ著 八木敏雄訳 『ユリイカ』 岩波文庫 2008年