自然に対峙するとき、人間の営みはどれほどの大きさなのだろうか。
3月11日、東日本に激震が走ったとき、私たちは自然の前でまったく力を持たなかった。
人間を幸福にするための最先端の科学・テクノロジー・エネルギーも、自然の脅威の前では役に立たない。それでも私たちは生き抜かなければならないのだ。
「自然は従うことによらなければ征服されない」とは、F・ベーコンのよく知られた言葉である。(1)
自然の脅威は、この短いセンテンスに凝縮されている。
宇宙の果てしない営みの長さから考えれば、私たち人間が科学を持ってから僅か400年。
たった400年では、あの自然の前に私たちの力が一瞬にして崩壊してしまうのは、当然の帰結であるというのだろうか。
私たちの科学・テクノロジー・エネルギーは、自然に従わなかったために、惨事を引き起こしてしまったというのだろうか。
「自然」と「科学」を対峙させて思考するとき、そこに生まれるのが「自然哲学」である。
デカルトの時代、17世紀に科学が誕生するまでは、人間の魂と肉体の関係をどのように位置付けて論じるか、それが哲学の一翼であった。魂、神、そして宇宙の神秘を思考すること、それが形而上学となる。
人間と自然のかかわりを論じた哲学者といえば、プラトンであろう。
紀元前5世紀のアテナイにおいて、「ピュシス(自然)」(=自然本性)という概念は、人為的な「法律・習慣(ノモス)」との対立におかれ、「これこれのものは自然本性的にあるのではなく、人為的にあるにすぎぬ」という形で、従来、強固な基盤を持つと思われていた伝統的な価値に不信の念が投げかけられた。
つまり、人の行為の規範に対して、人々が漠然と抱いていた不信の念は、ピュシスとノモス―――自然と人為―――という対立概念によって、一定の形を与えられたわけである。(2)
プラトンの対話編の中で、ノモスとピュシスという問題が初めて本格的な形でとりあげられるのは『ゴルギアス』においてである。(3)
『ゴルギアス』では、プラトンとソクラテスの自然に対する考え方の相違が鮮明に浮かび上がり、技術論が展開された。
技術は善とされ、「快適に生きること」こそ、よく生きることであり、善と快は同一のものと考えられたのだ。(4)
研究者は、プラトンを前期・中期・後期と3つの時代に括る。
中期プラトンから後期プラトンにかけて、プラトンはものの自然本来的な在り方、真実の構造、それぞれの事物にあって、そのものに固有なふるまい方をさせ、固有な相貌をとらせる内在的な原理を、自然の意味として論じている。
アリストテレスも「自らの内にそれ自体として動の原理を有するものの持っている本性(ウーシア)」とそれを規定し、これを「自然(ピュシス)」の第一の本来的な意味である、とした。(4)
研究者、武宮諦はこれを纏め、「自然に反して(パラ・ピュシン)何かをなそうとするならば、何もなしとげることができないのみか、事物のもっている折角のすぐれた本性を台なしにしてしまうのである」と論じる。(5)
では、やはり私たちは、「自然は従うことによらなければ、征服されない」というベーコンの言葉に還らなければならないのか。
紀元前5世紀のアテナイで、プラトンが「ピュシス」と「ノモス」を論じて以来、私たちは自然の上に文化を築くことなく、自然にただ従うだけの小さな存在でしかなかったのであろうか。
大地が大きく揺れ、多くの人間が死んでいくのを、アリストテレスの言葉を借りれば「ピュシスの本来的な意味である」として、力なく片付けてしまっていいのであろうか。
私たちは宇宙の中に存在する極小のエレメントとして、何かの摂理に作用されているだけなのだろうか。
私はまるで紀元前に生きている哲学者のように、人間の知りえない領域を今こそ知りたいと渇望している。
註
(1) 武宮 諦 「自然と人為」 『新・岩波講座哲学 5 自然とコスモス』収録 p.42.
(2) 武宮 諦 『前掲書』 p.35.
(3) 武宮 諦 『前掲書』 p.38.
(4) 武宮 諦 『前掲書』 p.40.
(5) 武宮 諦 『前掲書』 p.36.
(6) 武宮 諦 『前掲書』 p.36.
参考文献
『新・岩波講座哲学 5 自然とコスモス』 岩波書店 1985年