2013年2月28日木曜日

狂気の建築家・渡邊洋治と銀座のバー

ある日の午後、私は銀座松坂屋の裏通りを歩いていた。

仕事の途中であったから、久しぶりの裏町の散策という気分ではない。
目的地に向う途中の街並みの一角に、私は小さく佇むインフォメーションボードを目にした。

そこには、「当店は2月末日で閉店します」というインフォメーションが掲げられていた。
顔を上げてその店のファサードを目にすると、その閉店するという店はバーTARUではないか。

大正末期に開店し、長い間銀座を生き抜いてきたTARUが閉店するという。

老朽化したビルであるから、再開発に飲み込まれるのはいたしかたないのだろうか。

地下1階のその店に行くのに、私はいつも階段で下りずに、エレベーターを使うことにしていた。
自分で扉を開ける、古き良き時代のもっとも古いタイプのエレベーターが、私を迎えてくれる。

初めて乗った時には、途中で壊れて止まってしまうのではないかとびくびくしたことを、今でも思い出す。

TARUに私を連れて行ってくれたのは、建築家・渡邊洋治のアーカイブを管理している渡邊洋治の甥であった。

日本建築家協会で、私が「日本の前衛を再考する」というレクチャーを1年を通して開催した時に、渡邊洋治を取り上げ私は彼と邂逅する。

彼は私を、平河町の渡邊洋治のアトリエにも招きいれてくれた。
そこでは下から上まで、更に屋上にも、その全てに私は渡邊洋治の魂を感じ取った。

渡邊洋治ほど、「狂った建築家」という称号が相応しい建築家は他にはいないだろう。

建築家・松永安光が、渡邊洋治は事務所で所員を前にして日本刀を振りかざす、と話したことを思い出した。

東大からハーバードへ行き、芦原建築事務所に入所して独立した、建築家としての王道を歩み「建築界の良心」ともいえる松永安光さえも、渡邊洋治という狂った建築家に言及する。

それほどまで、渡邊洋治という異端は今でも輝いているのだろう。

彼が私をTARUに連れて行ってくれたのは、ここが渡邊洋治の縁の場所であったからだ。

渡邊洋治は、自分の師匠・吉阪隆正にここに何度も連れてこられたという。

早稲田の中で主流になれなかった渡邊洋治を、浮かび上がらせようとしていたのが吉阪隆正であった。

しかしクライアントや作品に恵まれず、つくりたくてもつくれなかった渡邊洋治は、生涯独身を貫き酒を自分の人生の欠かせない友としていた。

それ故、61歳の若さで逝ってしまったのだろう。

建築家にとって、「つくれない」ということは、どれほど悲しいことであるか。

そのTARUは、日本のインテリアデザインの礎を築き上げた二人の巨匠が、デザインに参加している。

剣持勇と渡辺力が一緒にデザインした仕事は、TARU以外には現存していないだろう。
そもそも、二人がコラボレートした仕事なんて、他にあるのだろうか。

その空間に、一時吉阪隆正と渡辺洋治がグラスを酌み交わしていた。

2月末日閉店と知って、私は友人とTARUを訪問した。
特に異端ではない、そのレトロな空気は、私たちを時間が止まった空間へと導いてくれた。

嬉しいことに、閉店が1ヶ月延長されるという。

あと何回か、あの蛇腹扉を自分で開けるエレベーターに乗ることが出来る。





2013年1月31日木曜日

日本経済上昇の予感

今年の正月は、映画『シェフ』を見に行った。

そういえば、去年の正月に見に行った映画は『エルブリの秘密 世界一予約の取れないレストラン』だった。

偶然にも2年連続で、正月にレストランや食がテーマの映画を見に行ったことになる。

レストランや食がテーマとなった映画は多いが、この2作品は共に高級レストランを題材とした、珍しい映画である。
しかも、ジャン・レノ演じるシェフは、エルブリのフェラン・アドリアが一世を風靡した、食材を泡状にするエスプーマや最先端の分子料理に見向きもしない。

映画では、痛烈な風刺、アイロニーとなって、化学の実験室のような分子料理のプレゼンテーションとしてそれらが現れる。

まるで1年前に公開された、『エルブリの秘密 世界一予約の取れないレストラン』に対抗するかのような映画だ。

映画監督やスタッフたちは、三ツ星レストラン「アルページュ」のアラン・パッサールやアラン・デュカス、ピエール・ガニェールといったスターシェフの厨房に足を踏み入れて、取材をしたらしい。

監督はアラン・デュカスの厨房で、グリーンピースのコンソメスープを運良く試食できたという。
その幼少時の記憶を喚起する美味が、人々を感動させる料理の人間味を描く映画となった。

『シェフ』は、銀座テアトルシネマで鑑賞した。
銀座テアトルシネマが入っているビルは、ホテル西洋銀座の建築である。
素晴らしい日本のホテル文化を創り出していた、あの、ホテル西洋銀座だ。

銀座の片隅に佇み、隠れ家に入るようにフロントに上がる、独特な趣が忘れられない。
本物の高級感を、あのように演出したホテルは、日本ではこれからは出現しないだろう。

ホテル西洋銀座は、そのテイストとは正反対のビジネスホテルとして、別資本で生まれ変わるという。

設計者である菊竹清訓も、亡くなってしまっている。

黒川紀章とともにメタボリズムを牽引した、建築家・菊竹清訓の作品の中では重要度が低い作品かもしれないが、私は好きな建築である。
建築の外観は残るかもしれないが、中身が全く変わってしまうことは大きな残念だ。

銀座という一流の立地に対し、本物の高級感を文化として創出し、日本に根付かせようとしたのがホテル西洋銀座だったと私は考える。

彫刻家・脇田愛二郎の、錆びた鉄板を使ったレリーフが客室に飾られてあったように。

だからこそ、吉兆が出店しているのだろう。


この挑戦は、商業という名を借りた文化創出であった、と言うのは言いすぎであろうか。
いや、私を含めて、その幻影を今でも追い求めている人間は、確かに少なからず存在する。

バブル崩壊以降の失われた20年を経て、デフレスパイラルに陥ってしまった日本に文化を語る資格はないのだろうか。
アートを鑑賞しに美術館に足を運ぶよりも、目の前の100円ハンバーガーに手を伸ばしてしまう。

そのような、暗い沈滞した世相が、いよいよ方向転換をしそうな予感がする。
予感、というよりは、確実に世の中は上昇ムードに染まりつつあるのだ。

政権が変わり、経済上昇を演出しているのだろうか。
仮に演出であり、その後の落ち込みが予想されたとしても、この気分により明るい日本に少しでも長く導けるのならば、私は良いことであると考える。

その杞憂を払拭するくらいの、メセナに終わらない本物の文化創出を生み出したいと考えているのは、私だけではなく全てのアーティストの想いである。

再び、ホテル西洋銀座のような、洗練されたバトラーサービスを受けたいと思っているのも私だけではないだろう。

参考文献
『シェフ』パンフレット 発行 東京テアトル株式会社





2012年12月15日土曜日

真冬のサマータイム・ブルース

3.11福島原発以降の、初めての総選挙が明日行われる。
この選挙の大きな争点の一つに、脱原発があることは間違いがないだろう。

3.11以降から現在までにトーンダウンしてしまっている政党・政治家に投票する人も、原発の扱いは気になるはずだ。

私の選挙区は長年に渡り、自民党選出議員の牙城である。
民主党の嵐が吹き荒れた時でも、全くその強さは揺るぐことがなかった。

そこに、脱原発を訴える独りの俳優が立候補をする。

3.11以降、脱原発を訴えていた俳優にすぎない、と私は思っていたが、敢えて磐石の組織・地盤を持っている自民党議員の選挙区に挑戦をする、という構図に私は驚いた。

中選挙区の時代に、その自民党候補以外の枠を争い当選していた議員は小選挙区1人区になり勝てず、何度も国政を目指していたが、しかたなく杉並区長になった。

その彼も、今回の選挙では別の選挙区・別の政党で立候補し、国政を目指す。

そのような、誰もが自民党候補者しかいないと思っている区民の中に、その俳優は飛び込んできたのだ。

地盤が無く、政党もない彼は、少しでも勝てそうな地区で立候補をすればよいのにと、誰もが思うだろう。

その彼の演説を聞いていると、あるアーティストの歌が頭を過った。
RCサクセション・忌野清志郎の「サマータイムブルース」。

1988年に発表されたこの楽曲を、現在の目で見る。
その歌詞は、2011年3月11日以降をまるで予言しているかのようだ。

(前略)
熱い炎が先っちょまで出てる

東海地震もそこまで来てる

だけどもまだまだ増えていく

原子力発電所が建っていく

さっぱり分かんねぇ 誰のため?

狭い日本のサマータイム・ブルース


寒い冬がそこまで来てる

あんたもこのごろ抜け毛が多い

それでもTVは言っている

「日本の原発は安全です」

さっぱり分かんねぇ 根拠がねぇ

これが最後のサマータイム・ブルース


あくせく稼いで税金とられ

たまのバカンス田舎へ行けば

37個も建っている

原子力発電所がまだ増える

知らねぇうちに 漏れていた

あきれたもんだなサマータイム・ブルース


電力は余ってる 要らねぇ

もう要らねえ

電力は余ってる 要らねぇ

欲しくない
(後略)


まるで現在のことを見ているかのような、忌野清志郎のシャウトだ。

この作品が発表された1988年は、私は20代最後の年を生きていた。
29歳という大人が、あの時恥ずかしいまでも原発に無関心だったのを、あらためて思い知る。

この楽曲には、都立日野高校で忌野清志郎と同級生だった俳優の三浦友和もバックボーカリストとして参加している。
泉谷しげるの叫び声も聞こえる。
三浦友和は、挿入されたナレーションを担当していた。

参加した三浦友和によると、反原発の歌が収録されているという理由で、このアルバム『COVERS』は所属のレコード会社からは発売されず、他社から出したという。

今日を生きている我々は、その圧力がどこからかかったのかは明白に理解できるだろう。

誰かが永遠に原発の危険性を訴え続けていかないと、我々はいつもの日常に戻っていってしまう。

先日渋谷で、現職総理大臣の応援演説に遭遇した。
人は集まってきたが、盛り上がることはなかった。

その総理大臣が、我が街荻窪で応援演説をする場面に、今日遭遇した。
私が知る限り、現職の総理大臣が荻窪の駅前に立ったことはない。

彼らも必死なのだろう。

昨日の夜、荻窪駅の横の小さなポケットパークで、その俳優が演説をしていた。
聴衆は溢れんばかりで、拍手が大きく熱気に包まれていた。

総理大臣が応援に来るわけでもない、その独りの候補者は、どこまで奮闘をするのだろうか。

「サマータイム・ブルース」が収録されている『COVERS』には、多くのゲストミュージシャンが参加している。

クレジットは全てローマ字なので特定は難しいが、「サン・トワ・マミー」では、ピアノがYosuke Yamashita とクレジットされている。

あの山下洋輔かな、と思って想像してしまう。

同じ楽曲のバックボーカルに、Isuke kuwatake  というクレジットがあった。
イスケ・クワタケ氏である。
私はこれを、ケイスケ・クワタと読み、桑田佳祐のことだと勝手に思うことにした。

今、忌野清志郎が生きていたら、この日本をどのように憂うだろうか。 

参考文献
『COVERS』RCサクセション 1988年 キティレコード
「忌野清志郎のロック魂を語ろう」 三浦友和×仲井戸麗市 対談 『週刊現代』2012年12月1日号 講談社

2012年11月26日月曜日

フロイトの料理読本

だいぶ前に古書店で手に入れた、『フロイトの料理読本』という著作が私の本棚にある。

このフロイトとは、精神分析の権威である、あのフロイトのことだ。

精神医学、心理学の領域の人間が料理読本を著す、という物珍しさも手伝って、この本を見せると誰もが興味深く手に取り、貸して欲しいと言われる。

そのような訳で、店のお客さん何人にもこの本を貸し出してあげた、人気の一冊である。

正確に言えば、フロイト自身がこの『フロイト料理読本』を著したわけではない。

巻頭の謝辞によれば、「ジムクント・フロイト記録保管所」に埋もれていた、フロイトの原稿を発掘した二人の編者が編集した著作である。

編者の覚書によれば、フロイトが晩年に英語で書いた料理読本もあるということだ。

フロイトが著した著作ではないが、原稿はフロイト自身のものであり、フロイトの人間関係から導かれた料理がレシピやエッセイ、文章とともに満載されている。

アイロニーが込められた、フロイト特有の文章に誰もが引き込まれてしまうだろう。

料理名だけを見ても、その内容を覗きたくなってしまう。

いくつか例を挙げよう。

失語症ソースをかけた牡牛のタン・ブレーズ
性感帯ホットケーキ
言葉のサラダ
フェットチーネ・リビドー
昇華サンドウィッチ
自己愛ソース
超自我エッグノッグ
妄想のパイ

「言葉のサラダ」などは、そのままお洒落なカフェメニューにクレジットされても良いくらいのネーミングであると思う。

これらのネーミングであっても、料理はしごく真っ当なレシピだ。

例えば、「仔牛肉神経衰弱」という料理のレシピを見てみよう。

良質の仔牛の尻肉を3、4ポンドを取り出し、紐でしっかり縛る。
ローストする前に、そのまま2~3時間おいておく。
小麦粉を大匙2杯、チリ・パウダーを茶匙1杯、パプリカ大匙1杯、塩とこしょうを混ぜたものをローストにまぶす。
溶かしたバターをときどき塗りながら、約180度のオーブンで半時間かけてローストにする。
その間に、茶色がかったストックにカップ1/2のコニャックを加えて、とろ火で1/3くらいに煮詰める。
さらに半時間ローストし続けるが、そのときには、ストックとコニャックを混ぜたものを塗りつける。炒めたタマネギやその他の心温まる野菜を加えてもよいが、皿を飾ることまで考えなくてよい。
問題なのは肉であり、柔らかくなくても一度だけは許される。

以上が「仔牛肉神経衰弱」という料理のレシピ全文である。

どこが神経衰弱なのかはこのレシピでは読みとれないが、最後の、柔らかくなくても一度だけは許される、という一文が引き締めている。

私たちがビストロで食べるメインディッシュの付け合せの、例えばニンジンのブレゼなどにも、「心温まる野菜」というネーミングを付けたらどうだろうか。

「仔牛肉のロースト 心温まる野菜添え」というように。

建築と料理は似たようなものである、というのが私の持論である。
素材を選び、切り方を変え、料理方法を選ぶ。
まるで、一つの建築をデザインするように、野菜や魚、肉を眺めながらイメージする。

とは言っても、素材を炒めて塩味を付けたパスタ程度しかいつもは作らないが。

フロイトの「仔牛肉神経衰弱」の、レシピの前に書かれている文章の中へ入っていこう。

フロイトは、神経衰弱の患者の身体は湿っていて締まりがなく青白いが、事実、これは良質の仔牛の肉の白みがかかったピンク色と非常に似ている、と記述している。

神経衰弱は意志の問題であるとし、研究者が「ヴィール(仔牛)」と発音していた「意志(ウイル)」の問題である、とフロイトは言う。

そこでこのメニューは、「仔牛肉(意志)神経衰弱」と、正確には本書にこのように記述されたのだ。

なるほど、と思わずにはいられない。

神経衰弱の多くの患者は従順で、治療には協力的である、とフロイトは言う。
ただ、症状の改善は遅い。
身体があまりにも弱いから、という理由だ。

したがって、神経衰弱の仔牛料理は、そのような「粗食」に対する失敗のない私の治療法になる、とフロイトは続ける。

最後に、こう記述してあった。

焼きすぎないように注意しなければならない。
少しはタフであってもいいだろう。
事実タフであるほどよい。

参考文献
J・ヒルマン+C・ボーア著 木村 定+池村義明 訳『フロイトの料理読本』 青土社1991年

2012年10月12日金曜日

ヴォルテール 『カンディード』を読む

ヴォルテールは、18世紀を生きたフランスの哲学者であり啓蒙思想家である。
ルソーへの批判、確執が知られているが、『リスボンの災禍に関する詩』を発表したことでも有名であった。

1755年11月1日に起きたリスボン大震災は、6万人を数える死者を出した。
大きな津波が発生し、1万人以上が津波により亡くなったという。

マグニチュードは9であり、2011年3月11日に起きたマグニチュード9の東日本大震災と同じ規模であった。
18世紀とは防災のスペックが異なるとはいえ、現在まで発表されている東日本大震災の死者数2万人に比べ、いかに大きな地震であったのかが理解できるだろう。

『カンディード』は、1758年1月に書き始められている(1)
第5章では、主人公のカンディード達がリスボンに到着し、大地震に遭遇する描写が挿入されている。

2005年に第1刷が発行された植田祐次訳の本書を、2011年第9刷版で私は最初に読んだ。
その後古書店で、1956年に第1刷が発行され1981年の第27刷版の、吉村正一郎の訳書を見つけ買い求めた。

二人の訳者の、異なる描写を楽しむ醍醐味を味わったが、我国でこれほどまでにヴォルテールが読まれていることを私は知らなかった。

カンディードは男爵の娘キュネゴンドを、初めて出会ったときには類い稀な美人だと思っていて、結婚を熱望していた。

しかし紆余曲折の後、旅の最後にキュネゴンドと再会し一緒に暮らすことになるのだが、そのときカンディードは、あれほど結婚を熱望していたキュネゴンドに対し結婚する気などさらさらないと思い、しかもキュネゴンドはひどく醜かった、とヴォルテールは描写している。

ヴォルテールの実生活の影、そのぺシミスム、アイロニーの描写がそうさせたのかもしれないが、女性の美を軽視するようで、私は『カンディード』はあまり好きにはなれない。

1745年から46年にかけて、ヴォルテールの心にはぺシミスムの影が忍び寄っていた。
彼がシレーでシャトレ侯爵夫人と垣間見た幸福と静かな生活、愛と英知についての夢に、予測のつかない気まぐれな実生活が侵入しつつあったからである。
五十の坂を越えた彼を容赦なく病魔が襲った。
シャトレ夫人との愛にしばらく前から倦怠を覚えていたヴォルテールは、44年頃から、浪費癖があってあまり貞淑でもなかったが魅惑的な未亡人、自身の姪にあたるドニ夫人に接近していた。(2)

ヴォルテールのこのような実生活が、あれほど恋焦がれたキュネゴンドを醜く描写をして、物語を終わらせているのだ。

植田祐次訳の版には他五篇が併収されていて、『ザディーク』が私はもっとも好きである。

バビロンに生まれたザディークという名の青年が、王妃アスタルテと出会い恋をする。
この始まりは『カンディード』と同様だ。

相思相愛になる二人は引き裂かれ、ザディークは逃げるように旅を始める。
戦争で王は殺され、王妃は売られていくが、最後までザディークはアスタルテをあきらめない。

最後は困難の末に、アスタルテとやっとの思いで結ばれるハッピーエンドの物語であるのが、私の琴線に触れた。

そのラブストーリーも素晴らしいが、私が気になった描写は別のところにあった。

旅の後半にザディークは隠者に出会い、その隠者を尊敬する。
ザディークと隠者は旅を共にするのだが、尊敬する隠者は、質素ではあるが二人に食事を提供してくれた家に火をつけたり、精一杯のもてなしをしてくれた未亡人の甥を殺してしまう。

ザディークは怒り、訝しがるが、隠者は「人間たちは、なに一つ知らずに全体を判断する(3)と言う。
隠者は、天使ジェスラードであった。

二人に食事を提供してくれた家に火をつけたのは、家を消滅させるとその下から財宝がでてきて、質素な主は大金持ちになるのである。
未亡人の甥を殺したのは、甥が大きくなるとその未亡人を殺してしまうからであった。

天使ジェスラードは先のことが全て見えているが、私達人間は、今起こっていることと先のことの因果関係を知らない。

私達は混沌とした現在を生きていると、誰もが自分に降りかかってくる理不尽なことに遭遇する。
その時に、私達は誰かを、そして何かを恨むだろう。

私は『ザディーク』を読んだ以後、自分に理不尽なことが起きた時には、これでよかったのだ、と思うようにしている。
神の摂理が働き、私をこのようにしているのだと。

そう思えば、やりきれない思いを自分の中で咀嚼できてしまう。

心のありようは、自分で簡単にコントロールすることができることを、私はヴォルテールから学んだ。


(1) ヴォルテール著 植田祐次訳 『カンディード』 解説p.540.
(2) ヴォルテール著 植田祐次訳 『前掲書』p.207.
(3) ヴォルテール著 植田祐次訳 『前掲書』 解説p.534.


  参考文献
ヴォルテール著 植田祐次訳 『カンディード』 岩波文庫2011年

2012年7月31日火曜日

宵越しの金を持たない

暑い夏の日の夜、八十歳を超えた私の母がどじょうを食べに行きたい、と私に言った。

私はその言葉を聞いて、母は死ぬまで江戸っ子だと思い嬉しくなった。
母の世代に比べ、私の世代になると江戸っ子気質は希薄になっている。
今の若い世代にとって、日常にどじょうを食べるという親から受け継いだ習慣など、皆無に等しいだろう。

江戸っ子を自慢しようとしているのではない。
誰でも、自分の故郷を愛する気持ちを持っている。

私が小学生の頃、夏休みに同級生たちは「田舎」に行き、カブトムシやクワガタムシを採ってきて自慢していた。
父や母の実家の地方を「田舎」と言う概念など、小学生の私にあるはずもなく、「田舎」とは山や海のある、この東京とは違う自然豊かな場所であると認識していた。

私の父は神田で生まれ、母は新宿で生まれる。
父と母は神田明神で結婚式を挙げ、墓は谷中の寺にある。

これが、典型的な東京の庶民の姿であり、江戸っ子と言われていた人たちだろう。
だから夏休みに実家に帰り、自然に親しむという醍醐味を味わうことができなかったのは当然である。

しかし大人になって、誰もが故郷を愛するように、私も江戸っ子であって良かったと思うようになっていた。
父が、父の代で神田を離れ荻窪に来たことが、「俺の代で、江戸っ子を切ってしまった」と言っていたのが印象的である。

私が経理をお願いしている浅草橋の父の友人は、未だに「ヒとシ」の言葉の使い分けができなく、まだこういう正真正銘の江戸っ子がいるのだと思ってしまうが、私は、代々神田で育ったルーツを継いでいるだけで江戸っ子の仲間入りをしていると、自負している。

弟の車に母を乗せ、どじょうを食べに両国の老舗に向かった。
店に入ると、私たちのような年齢の子供が親と一緒に来ている客だけしかいなかった。

二十代、三十代の客は見あたらない。

母に聞くと、昔は魚屋でザル一杯のどじょうが安く買えたという。
だから江戸っ子の庶民の夏は、どじょうなのだろう。
今は、街の魚屋を見つけること自体が難しくなってきている。
このままでは、親から子へと受け継がれない、どじょうを食べる文化も衰退していってしまう。

この老舗に来ている客の年齢層が、どじょう文化の悲哀を物語っていた。
しかし満席である。

料理は、丸鍋、開いたどじょうの鍋、鯉のあらい、と続く。
駒形のどじょうに比べ食べやすい大きさで、骨が気になることはなかった。
どじょう料理のコースの中に、鯉が入っている。
これが、泥臭いイメージを持たれている川魚を食べる醍醐味である、と私は思う。
決して泥臭くはないのだが、イメージで敬遠されてしまうのだろう。

それであれば、それでもいい、と私は思うことにした。
一般的に敬遠されてしまう泥臭いと思われているどじょうや鯉は、私たち江戸っ子が食べてしまえば良いのだから。

なぜ、夏のどじょうなのか。

暑い夏を乗り切るためのスタミナ確保もあっただろうが、夏のこの時期だけは、どじょうの卵を食することができるのだ。

鍋に、小さなどじょうの卵を、仲居さんが最後に乗せてくれた。

鯉のあらいは、この時期になると鮨屋に出回るいさきのような色合いである。
薄くほのかなピンク色をした身に、血合いの筋が大きく彩られている。
食感は非常に力強く、山葵醤油と酢味噌で食べた。

どじょうを食べながら、母が昔の話をする。
私の祖父は、息子である父に「宵越しの金を持つな」と言っていたという。

宵越しの金を持たないことはやめて、貯金をしなさい、ではない。
江戸っ子の、典型的な気風を持っていた祖父の言葉に、父は貯金をしなければダメだと思ったという。

私は母の話を聞いて、嬉しくなった。
「宵越しの金は持つな」と言うなんて、なんてカッコいい祖父であろう。
そんな言葉は、息子に掛ける言葉ではない。

それを平気で言ってしまう祖父。

この言葉を、今の政府に言ってやりたいと思った。
財政再建という美談に向け、消費税を上げ、経済をますます縮めようとしている。
財布の紐がますます固くなる世の中に、私は宵越しの金は持つな、と声を大きくしたい。

私たち一人一人がお金を使い、経済が回るようにしなければならないだろう。
宵越しの金を持たない江戸っ子気質を、日本中に浸透させなければならない。

2012年6月18日月曜日

プラトン 『饗宴』での文学的構造に対する考察


プラトンの『饗宴』は、哲学書を超えた、素晴らしい文学書である。

『饗宴(シュンポシオン)』という表題の原意は、「一緒に(シュン)飲むこと(ポシオン)」である。
「飲む」とはこの場合、酒(ワイン)を飲むことであり、「シュンポシオン」とは、要するに「飲み会」のことである(1)

『饗宴』とは、この酒宴という人の集まる場を借りてプラトンが著した、プラトンの哲学を表現した「文学」であると私は考える。

『饗宴』は、プラトン四十代後半の作品、すなわちプラトン中期に位置する作品ということになる(2)
従って、これまでの研究によれば中期作品群のソクラテスは、著者であるプラトン自身の見解を表明するものと考えられている(3)

私は、『饗宴』の文学的構造に着目した。
それを述べる前に、『シュンポシオン』という著作は、プラトンの哲学を表現する作品であるが、これは当時の一つの文学的形式であることを確認したい。

プラトンと同時代のクセノポンが、『シュンポシオン』という作品を著している(4)
この他に、紀元後一世紀、ローマ時代のブルタルコスにも『シュンポシオン』という作品がある(5)

ということは、現存していない作品も数多く著された可能性も、否定できない。
このことにより、『シュンポシオン』は当時の文学的形式のプロトタイプとなっていたことが、容易に想像できる。

私が着目した『饗宴』の文学的構造とは、二つの二重構造が入れ子のように組み込まれていることである。

一つ目の二重構造は、物語導入部分に現れる。

『饗宴』の酒宴の様子は、プラトン、すなわち登場するソクラテスが見た様子として書かれているのではない。
アポロドスという人物が、友人たちに酒宴の様子を報告する形で物語は進む。
そして、この報告者アポロドスも、酒宴に参加していたわけではない。

アポロドスは、アリストデモスという酒宴に参加した人物から聞いた話を、友人たちに語る。

語り手のアポロドスが聞いた「参加者であるアリストデモスから聞いた話」を話す、という入り組んだ文学的構造がここには存在する。
最初のこの二重構造が、『饗宴』の文学的形式に影響を与えているのではないかと私は考えるのだ。

二つ目の二重構造とは、参加者の演説を、前後に登場させる酒宴の様子で包み込んでいることである。

『饗宴』の骨格は、パイドロスからアルキピアデスに至る登場人物の演説である。
左に座っている人から、反時計回りに演説者がエロースについて論じていく。

このエロースの内容、そこでアリストパネスが語る、私たち誰もが知っている後世に伝わる有名なミュトスになった、相手を探す恋愛論については、別の機会に述べたい。

パイドロスの演説が始まる前に、宴の導入部分としてこの日の酒宴の様子をプラトンは登場させる。
そして一連のパイドロスからアルキピアデスまでの演説を終了させたあと、最後に再び酒宴の様子を描写している。

これは、「パイドロスからアルキピアデスに至る演説」を、前後の「酒宴の様子」で包んでいる大きな二重構造であると考えられないだろうか。

この考察が導かれた背景には、正当な理由が存在する。

なぜプラトンがこのような文学的二重構造を「二重」に存在させたのかというと、物語導入部分の二重構造のメタファーとして、大きな二重構造を構築したのではないかと私は考えるのである。

すなわち、物語導入部分の「アポロドスが話す<アリストデモスの話>」という、話を話で包んだ二重構造を、「一連の演説」を前後の「酒宴の様子」で包んだ二重構造として結実させている、と私は考えるのである。
「話で包んだ話」のメタファーが、「酒宴で包んだ演説」である。

プラトンは『饗宴』の中に二つの二重構造を表現し、文学に空間的な奥行きをつくりあげた。
この、大きなものが小さなものを包み込む入れ子構造は、宇宙に他ならない。

大宇宙から、銀河系宇宙へ、銀河系宇宙から太陽系宇宙へ、太陽系宇宙から地球へと大から小へと入れ子のように連鎖していく。
更に、地球から人間へ、人間から細胞へ、細胞から分子へ、分子から原子へと、連鎖の旅は果てしなく続く。

私は、プラトンが『饗宴』で、宇宙を表現したかったと思わずにいられないのである。


(1)  朴 一功『饗宴/パイドン』p.368.
(2)  朴 一功『前掲書』p.364.
(3)  朴 一功『前掲書』p.366.
(4)  田中 美知太郎『プラトン「饗宴」への招待』p.5.
(5 ) 田中 美知太郎『前掲書』p.10.

参考文献
プラトン『饗宴』 (プラトン『饗宴/パイドン』) 朴 一功訳
京都大学学術出版会 2007年 

田中 美知太郎 『プラトン「饗宴」への招待』 筑摩書房 昭和49年