2010年3月11日木曜日

パッヘルベルのカノンと、映画・タイタニックのテーマの相似性について、或いはマニエリスムの作品としてのタイタニックのテーマ。

BARでレコードをかけていたら、奇妙なインスピレーションが頭を過ぎった。

常連の整形外科医であり脳神経内科医でもあるS氏が、友人の外科医を連れて3人で店を訪れてくれた時のことである。学芸大学の彼のクリニックには、著名な女性ジャズヴォーカリストを始め多くの有名人が訪れるという。彼は業界で名を轟かせるほどの、優秀な医師であった。

暫くしてテーブルに座った彼から、クラシックをかけて欲しいとリクエストがあった。彼は「可能であれば」という言葉を添えて、しかし何をかけてくれるのだろうかという期待感を顔に表している。
ジャズを中心に、ソウルやロック、そしてJ-POP、演歌まで、かけて欲しいと言われた曲は、あるものであれば全てかけている。クラシックもBARには何枚か置いてあるが、今まで客が訪れている時にはかけた経験はなかった。私は数枚のクラシックのレコードから1枚を選び、自分でデザインしたレコードプレーヤーのターンテーブルに載せた。

エリック・サティにしようかと思ったが、静か過ぎてしまう。そして私がかけたのは、「パッヘルベルのカノン」(カノンとジーグ ニ長調)であった。一時期この曲が有名になり、ポップス的なアレンジでいくつものカヴァーがリリースされた、メロディアスなバロックと言えば、冒頭のメロディーを頭に思い浮かべてくれるだろうか。しかし私がかけたのは軽やかなそれらとは違い、カラヤンが指揮をしてベルリンフィルハーモニー管弦楽団が演奏をする、正統なバロック室内楽だった。

クラシックファンに言わせると、指揮者と演奏者(楽団)の組み合わせにもクラシックの醍醐味の一つが求められるという。そういうことで言えば、カラヤンとベルリンフィルは最高の組み合わせであろう。カラヤン以前と言えば、フルトヴェングラー率いるベルリンフィルだろうか。但しバロックを奏でるとすれば、カラヤン・ベルリンフィルよりもベストチョイスがあるはずである。しかし志鳥栄八郎によるライナーノーツの通り、ベートーヴェン・ブルックナー・マーラーのような大交響曲以外にも、カラヤンは繊細に柔らかくこのバロックを奏でていた。

冒頭の有名な旋律から少しすると、私の頭の中で「あれっ」という感覚が沸き起こった。そして今度はレコードではなく、CDを探す。探し当てたCDを、カノンが終わるとすぐに続けてかけた。それはセリーヌ・ディオンが歌う「MY HEART WILL GO ON」である。映画・タイタニックのテーマ曲と言った方が分かりやすいかもしれない。
私の頭の片隅に、「タイタニック」のメロディが残っていたのだろう。「パッヘルベルのカノン」を聴いている最中に、反応してしまった。その反応は、「タイタニック」をかけることにより確信に変わっていく。その確信とは、2つの曲が相似性を持っている、ということであった。

「タイタニックのテーマ」が、「パッヘルベルのカノン」のメロディをトレースしている訳ではない。であるからイメージを膨らませていかないと、2つの曲の相似形が頭の中で一致しないかもしれない。もし偶然にも2つの曲が手元にあれば、是非「パッヘルベルのカノン」を先に、続けて「MY HEART WILL GO ON」をかけて聞き比べて欲しい。イマジネーションを膨らませると、面白いように2つの曲が「似たもの同士」になってくるはずである。カノンは誰のバージョンでも良いと思う。

私がこの2曲を並列して、敢えて数学的なイメージを持つ「相似形」と喩えたのは、「タイタニック」が「カノン」からインスピレーションを受けて作曲されたのではないだろうか、ということを探るためではない。数学的な言葉の「相似形」を、美術的な言葉「マニエリスム」に置き換えても良いだろう。「マニエリスム」とは、イタリアを中心とした後期ルネッサンスの芸術様式の1つであり、簡単に言えば、その時代より過去の歴史的な様式をその時代の作品に取り込んで、自分の作品にしてしまうということである。建築でいえば、パラーディオのファサードが有名だ。

常連のS氏のリクエストで何気なく選んだバロック音楽から、相似形をイメージし、マニエリスムまで想起できたことに、驚きもし嬉しくも思った。私の頭は、まだ錆び付いていないということである。このロジックで言えば、「タイタニック」はマニエリスムの作品であると言えないだろうか。

そして、更にここには二重の引喩が隠されている。マニエリスムの隆盛した後期ルネッサンス時代は、やがてバロック時代へと繋がっていく。「タイタニック」の作曲者が、もし「カノン」をマニエリスムの手法で自分の作品に取り込もうとして、しかもマニエリスムの影響が残っているバロック時代の音楽から意識的に取り込もうとしたならば、これはもう「タイタニックのテーマ」はコンテクストの上では1級の芸術作品として成立するのではないだろうかと思う。

酒を手にしながら、このように作者の意思を飛び越えて勝手に思索を深めていくのも、楽しいことである。「タイタニック」の作曲者が、私の上述したコンテクストのような意志を持って作曲した訳では無いことは、百も承知だ。もちろん、私も「タイタニックのテーマ」の美しいメロディをバックに、ディカプリオとケイト・ウィンスレットの悲しい愛の映像を見ながら、何度も何度も涙するのが大好きだ。


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