アトリエの棚を整理していたら、1冊の雑誌が目に留まった。
『エスクァイア日本版』2001年1月号。
表紙には大きく、シャトー・マルゴー1928年のボトルが刻印されている。
「ワインに愛された奇才たち。」とクレジットされたその号は、ピカソやロートレックからゲーンズブールまで、それぞれの奇才とワインに纏わるエピソードが紡ぎとられている。
この1冊を、雑誌というサブカルチャーに閉じ込めておくことはできないだろう。
ここに登場するヨハン・ゲーテ、ナポレオン・ボナパルト、クロード・モネ、パブロ・ピカソ、トゥールーズ・ロートレック、ココ・シャネル、藤田嗣治、アーネスト・ヘミングウェイ、吉田健一、トルーマン・カポーティ、セルジュ・ゲーンズブールそれぞれの研究者はもとより、文学者の1級の資料となりえる文章が展開されている。
雑誌の中のエッセイとして片付けるのには、あまりにも勿体無い。
私が特に惹かれたのは、竹中充によるボージョレーとアルベール・カミュの因果を語った文章であった。
竹中充は、1957年生まれ白百合女子大学仏文学科を卒業し、ワインに関する著作が数冊あるだけで多くを知られていない。
40歳代前半で亡くなったようで、その早世が作品の少なさを物語っている。
彼女の文章を追っていくと、カミュの最後の数日を私も一緒に共有しているような気分に浸ってしまう。
アルジェリアで生まれたカミュは、窮乏であったが太陽とともに育っていった。
その太陽の想いを人生の最後まで放さずに、霧にけぶるパリ(1)で、サルトルと仲良くサン=ジェルマン=デ=プレの悪徳、すなわちシャンパンとウオツカとワインのがぶ飲みに溺れていた。(2)
竹中充の文章でカミュの太陽への想いを知った私は、その正反対のベクトルとしてアルチュール・ランボオを思い浮かべる。
ランスの更に北、太陽の少ない地シャルルビルに生まれたランボオは、エチオピアの灼熱の太陽を想い焦がれて死んでいった。
二人の偉大な文学者は、奇妙にも同じようにアフリカの熱い太陽を想い、自分の意志半ばで若くして死んでいったのだ。
カミュは、死ぬ前日にボージョレーのフルーリーを飲む。
「なぜ僕らは飲むのか?無力感からであり、自分を責めるからである」(3)
「パリ。朝の5時のカフェ。窓ガラスの水滴。沸き立つコーヒー。
市場で働く人と運送業者。
朝方にひっかけるリキュール。それからボージョレー」(4)
朝方にひっかけるリキュールとボージョレー、このカミュの文章からはゆっくりと流れていくであろう、これからの時間が想像できる。
カミュは、自宅のあるプロヴァンスからパリへ向かう途中に、ブルゴーニュに立ち寄った。
それは、カミュのいつもの行程であろう。
いつもと違うのは、友人夫妻と一緒だったということだけである。
ブルゴーニュの地に立ち寄り、ブルゴーニュのワイン、ボージョレーを飲む。
カミュはブレス産鶏肉のクリーム煮に、フルーリーを合わせた。
クリームの濃厚さを、瑞々しい果実味が躍動するワインで洗い流しながら愉しんだのであろうと、私は想像する。
友人の運転する車がプラタナスの木に激突して、このノーベル文学賞受賞作家が死んでしまうまでの2日間を、私はこの1冊の雑誌で知った。
その行程にもし友人がいなかったらと想像するのは、文学を愉しむ者がするべきではないだろう。
ボージョレーのワインが文学として私の心にインプレッションを与えてくれたことは、未だ無かった。
世間は毎年のこの時期、ボージョレーヌーボーの喧騒の余韻を持て余しているかのようだ。
この儚いお祭り騒ぎは、いつまで繰り返されるのであろうか。
表紙のシャトー・マルゴー1928年は、ダリが1976年にパリのタイユバンで飲んだワインである。
註
(1) 竹中 充「カミュ、太陽と死のブルゴーニュ」 『エスクァイア日本版』2001年1月号収録 p.51.
(2) 竹中 充 『前掲書』 p.54.
(3) 竹中 充 『前掲書』 p.54.
(4) 竹中 充 『前掲書』 p.51.
参考文献
竹中 充 「カミュ、太陽と死のブルゴーニュ」
『エスクァイア日本版』 エスクァイア マガジン ジャパン 2001年1月号
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