先月号の『新建築』(2010年4月号)は、「東京2010」という巻頭特集であった。110名による、見るべき建築を各人3つずつ挙げてコメントを入れたガイドである。4月から建築を学ぶために入学した学生や、社会人1年生となった若者に、あらためて東京の建築の中から「この建築は是非見ておきなさい」という、先輩からのメッセージが込められている。まさに、「新年度が始まるこの時期に、建築入門またはより深く建築を考えるきっかけとして使う保存版」となる特集だった。
そして、丹下健三・吉阪隆正・村野藤吾・篠原一男・磯崎新といった巨匠たちの作品に混じり、私の小さな「建築と哲学のバー SAD CAFÉ」も掲載される。建築の規模としても掲載作品の中で一番小さいだろうが、それよりもバーとして唯一の掲載作品である。これは、建築家・宇野亨による推薦であった。
宇野亨は、そのコメントの通りに学生時代によくこのバーに通ってくれていた。当時は「建築と哲学のバー SAD CAFÉ」とは名乗らずに、「SAD CAFÉ THE LAST RESORT」というキャプションを店名に付けていた時代だった。SAD CAFÉもTHE LAST RESORTも、ウエストコーストから世界を巻き込んだロックグループ イーグルスの曲名から取ったものである。そう、あの「ホテルカリフォルニア」のイーグルスだ。
宇野亨はカウンターに座り、現在と変わらないあの瞑目で低音の、そして思慮深い言葉でグラスを傾ける合間に静かに話していた。そういえば、眼鏡の奥から覗く目はまるで哲学をしているかのような目であったかもしれない。あるとき、著名な建築家集団であるシーラカンスで働くことにしたと報告をしに来たことがあった。学生時代から、そこでアルバイトをしていたのだろうか。詳細は忘れてしまったが、学生生活を終え建築家としての修行の第一歩をシーラカンスに向けたということだった。
その時に私は反対の立場を取ったのを、よく覚えている。シーラカンスが悪い、と言ったのではない。建築家として、設計共同体の中で自分の個性をどのようにコントロールしていくのか、ということを真剣に議論したのだった。たぶんそのときも、宇野亨は言葉を選びながら、静かに自分の意見を私に言ったのだろう。そして私の危惧は取り越し苦労に終わり、現在はCAnパートナーとして名古屋ブランチを統括している素晴らしい建築家となっている。宇野亨の推薦文に、「世界中で一番好きなバーである」というコメントを見つけたときには、非常に光栄な気持ちになった。
さて、『新建築』2010年4月号がリリースされてから、バーの様子が変わってきた。まだ発売されたばかりなので、そのガイドを見て来店する人がいるとすれば3~4ヶ月位あとであろうと私は思っていた。かつて雑誌『ブルータス』にこのバーが掲載された切り抜きを持って、その『ブルータス』が発売された2年後に初めて来店してくれた写真家がいたことを思い出す。彼は「いつか来たかった」と言ってくれ、手帖に挟んで入れていたその切抜きを嬉しそうに私に見せた。そして自宅を、建築家・室伏次郎氏に依頼して設計してもらったことを話し始める。水深10センチ程度の「見るためのプール」をつくってもらったのだと言う。私はその作品を『新建築』で見て記憶にあり、その作品の記憶と目の前にいるその作品の住人が一致した奇妙な感覚に陥ったことも、おぼろげに思い出した。
しかし今回は、『新建築』発売後からバーの前で写真を撮る人が増えてきた。22年前の作品を撮ってくれるなんて、嬉しい限りである。そして先日は、『新建築』を手に持ちながら沖縄からわざわざこのバーにやって来てくれた建築家がいた。遠方からの来訪とはいえ、なんと沖縄からである。なかなか場所が特定できなくて迷ったと言われ、裏通りにあるこのバーを申し訳なく思ってしまった。
ガイドブックを見なくても、面白がってやってくる来訪者がいる。このバーの近くにある小学校の生徒たちだ。彼らはまるで、アミューズメントパークのアトラクションを見るかのように、このバーのファサードに興味を示す。昼間、バーの店内で建築のスタディをしていると、表の小さな子供たちの喧騒とファサードの突出したパネルを叩く音が聞こえてくる。それは私にとって、心地良い騒音だ。小さな子供がこの奇妙な建築物を見て、インプレッションを受けて将来建築家を目指すきっかけになってくれればこの上なく幸せである。そんな大それたことを考えなくても、いつもの子供たちの「何だ、これは!」という嬌声が、考えるという「哲学」に結びつくことを願っているのだ。
沖縄の来訪者とは、暫く後に酒を酌み交わす約束をして別れた素晴らしい一夜だった。宇野亨に感謝したい。
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