2010年5月23日日曜日

プルーストからヴェネツィアの幻惑を想像する。

 いつ購入したのかも忘れてしまった本を、棚から取り出して読んだ。それは馴染みの古書店で見つけた、タイトルが美しい、そして装丁も美しい本だった。両手を頬に当てて目を閉じて、何かを考えているかのような哲学的な表情をした、美しい女性が表紙になっている。その横に、『ヴェネツィアでプルーストを読む』と本のタイトルがクレジットされていた。

帯には、「マルセル・プルーストに導かれてヴェネツィアを徘徊するための、幻惑のヴェネツィア・ガイド」と書かれている。「幻惑のヴェネツィア・ガイド」という部分は、大きくクレジットされていた。全体が黒いベースに、女性の上半身の写真がモノクロで、そして白抜きの文字が表紙を引き締めている。私はプルーストに惹かれてというよりも、この美しいグラフィカルな装丁に魅せられて買ってしまっていた。

そろそろヴェネツィアにまた行きたい、そう思ってこの本を古書店の棚から引き出したのだが、ヨーロッパに赴いてもヴェネツィアまで足を延ばす機会はなかった。ヴェネツィアに行くことになったらこの本を読もう、そう思いながらこの本は自分の書棚から全く動くことはなかった。

この本を読んだのは、ヴェネツィアに行くことになったからではない。ヴェネツィアに焦がれながらも、ヴェネツィアに行く機会がない自分の心を満たすために、購入して以来初めて本の扉を開けた。

「幻惑のヴェネツィア・ガイド」と帯にあるが、この本は、所謂ガイドブックではない。フランス文学を専攻し、詩人でもある著者の鈴村和成が、プルーストの跡を辿りヴェネツィアやノルマンディーを徘徊する、美しい文体で書かれた詩的な文学評論である。文章の余韻や空白感が素晴らしく、著者の詩人である謂れを彷彿とさせていた。

プルーストがヴェネツィアで泊まったホテルには、長らくダニエリ説とエウローバ説があった(1)という。そして近年の評伝ではエウローバ説が採られている(2)、とされる。私は、ここでホテル・チプリアーニを思い浮かべた。確か5月だったと思うが、その時のヴェネツィアは風が強く、とても肌寒かった。専用のタクシー(モーターボート)で迎えられたホテルは、離れ小島のようなロケーションを独り占めするかのように建っている。私は無意識にダニエリの窮屈そうなファサードを嫌って、チプリアーニを選択したのかもしれなかった。

著者はこの本の所々に、レストランや料理、酒についての記述を散りばめていた。プルーストを辿り、彼の泊まった同じホテルに泊まり、時には同じレストランでプルーストの食べた料理も食べる。ノルマンディでムール貝やカキ、海老を氷の上に盛ったフリュイ・ド・メールを食べたときの記述が、「目の前の夕暮れの海にレモンを搾って食べているようだ」(3)という詩的な表現が 美しかった。

チプリアーニのオーナーが経営している、世界で最も有名なバー「ハリーズ・バー」。そこには誰もが知っているスペシャリテ、桃のシャンパンカクテル「ベリーニ」がある。バーと名が付いているとはいえ、本格的なダイニングを擁した世界の社交場だ。カウンターの前面では、普通以上にドレスアップした男女がスタンディングでひしめき合う。この異空間を目にすると、外界のヴェネツィアの歴史的な街並みからのギャップに、くらくらと目眩がするほどだ。カウンターの中では、あらかじめ桃のネクターとスプマンテをブレンドしたベリーニが大きな銀のボールに入れられ、それをシャンパングラスにすくって入れてサーブされる。このスノッブな空間は鈴村和成の詩的な文体と相乗しないが、私は著者の余韻が美しい酒や料理の記述を読むに連れて、「ハリーズ・バー」で繰り広げられる「幻惑のヴェネツィア」を想い出していたのだった。

この本の帯にあるように、ヴェネツィアを表すのに最も相応しい言葉は「幻惑」であろう。マルセル・プルーストを追わないまでも、ヴェネツィアに佇めば誰でも幻惑を目にすることができるはずだ。ヴェネツィアの美しく輝く光を目にすればするほど、その影に幻惑される。私は、かつて須賀敦子の『ザッテレの河岸で』というエッセイで、「コルティジャーネ」という言葉を初めて知った。コルティジャーネ。この言葉の語尾をコルテジャーニと男性形に変えると、宮廷人や貴族の意味になるのだが、女性名詞の場合には、日本語でふつう「高級娼婦」という、およそ詩的でない言葉があてられる。(4)コルティジャーネが最後に収容される施設が「なおる見込みのない人たちの病院」(オスペターレデリ インクラビリ)と名づけられた病院であった。そして彼女たちが罹ったなおる見込みのない病気とは、梅毒だった。その施設の遺構は、いまだヴェネツィアに佇んでいる。

もちろん、このような施設は世界のどこにでも存在した。しかし、カサノヴァまで遡らなくても、男色という影を持つプルーストしかり、ヴェネツィアの魅力を追っていくと闇の美しさを持った幻惑に、どうしても足を引き摺りこまれてしまう。

この美しい装丁は、木村裕治、後藤洋介によるもので、カバー写真は”Threading thought” Diana and Marlo/Orion Pressからのものである。


1 鈴村和成 『ヴェネツィアでプルーストを読む』p.54.
2 鈴村和成 『前掲書』p.54.
3 鈴村和成 『前掲書』p.182.
4 須賀敦子 『ザッテレの河岸で』p.101. 

参考文献
鈴村和成 『ヴェネツィアでプルーストを読む』集英社2004年
渡部雄吉 須賀敦子 中嶋和郎 『ヴェネツィア案内』新潮社2007年

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