手元に、1冊の薄い本がある。
『ソクラテスの弁明』、『クリトン』が1冊になった、岩波文庫だ。
1927年に第1刷が発行された、久保勉が訳したこのプラトンの著作は、紀元前399年ソクラテスは不信心にして、新しき神を導入し、かつ青年を腐敗せしめる者として、市民の各階級を代表する三人の告発者から訴えられ、ついに死刑を宣告されるに至った(1)ときの物語である。
『ソクラテスの弁明』では、アテナイの法廷でのソクラテスの弁明が、弟子プラトンの筆により活き活きと、かつ芸術的に語られている。
『クリトン』は死刑の宣告があった後、獄中においてソクラテスとその忠信なる老友クリトンとの間に交わされたる対話から成っている。(2)
ソクラテスの友であるカイレフォンはデルフォイにおもむき、巫女に神託を求めた。
ソクラテス以上の賢者があるか、とカイレフォンに伺いを立てられた巫女は、ソクラテス以上の賢者は一人もいない、と答える。
ソクラテスはこの神託に対し、神は一体、何を意味し、また何事を暗示するのであろうか、(3)と考える。
神には虚言のあるはずがなく、ソクラテスは賢者と名高い人に会い、その賢者とソクラテスとどちらが至賢であるかを確かめようとした。
その結果、自ら賢者だと信じている者が賢者でないと分かると、ソクラテスは、あなたは賢者ではないのだ、と説明しようと努める。
その行為が、自らを賢者であると信じている者たちからの憎悪を受け、ソクラテスは捕らえられてしまうのである。
自らを賢者であると信ずる者に会い、そこを立ち去るソクラテスは、独り考える。
とにかく俺の方があの男より賢明であると。
では、何故ソクラテスは、その男より自分の方が賢明であると考えたのであろうか。
ソクラテスは、その男と自分の二人は、善についても美についても何も知っていないと思っている。
しかし、その男は何も知らないのに、何かを知っていると信じている。
これに反してソクラテスは、何も知りもしないが、知っているととも思っていない。
その男は、自ら知らぬことを知っていない。
少なくともソクラテスは、自ら知らぬことを知っているかぎりにおいて、その男より智慧の上で少しばかり優っていると考えるのだ。
要するにソクラテスは、自分は善や美について深く知ってはいない、ということを自覚している分だけ、知ったかぶりをしている男よりは賢明である、と説いているのである。
この一見逆説のような、美しいコンテクストに私は魅了された。
賢者であることの証明が、何も知らない、ということを自覚していることであるというのだ。
これは、カントが、著作『純粋理性批判』の冒頭で述べた、人間の理解を超えたものを考えることは、私の力以上である、と断言していることを彷彿とさせる。
このように、紀元前399年の古代ギリシャでは、ソクラテスが、自らを知らないということについて論考していた。
そして、現代のギリシャ。
2010年に初めて表面化した、財政危機。
デフォルトが叫ばれている。
EUのお荷物、とも。
ギリシャに世界が注目し始めると、お国事情が露呈されてきた。
公務員の数の多さ、給与の高さを私たちは知る。
財政圧縮を許さないために、ストやデモを繰り返す国民。
私は、このギリシャの国柄を初めて知ると、『ソクラテスの弁明』というタイトルが頭を過った。
まるで、現代のギリシャの窮状を、紀元前399年の古代ギリシャのアテナイから、「世界の皆様、ごめんなさい、許してください」とソクラテスが謝っているかのような、「弁明」である。
ソクラテスは、自分は深い知識は持っていない、と自己評価をして、最高の賢者であると評された。
現代のギリシャも、自国がどのような窮状であるかを充分に知った上で、対策を取らなければならない、とソクラテスは教えている。
註
(1) プラトン著 久保勉訳 『ソクラテスの弁明・クリトン』 解説p.121.
(2) プラトン著 久保勉訳 『前掲書』 解説p118.
(3) プラトン著 久保勉訳 『前掲書』 p.23.
参考文献
プラトン著 久保勉訳 『ソクラテスの弁明・クリトン』岩波文庫 2009年
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