2010年6月30日水曜日

「街並み不要論」 都市の街並みは誰がつくるのだろうか 

 建築家として仕事をしていると、必ず「街並み」という言葉が付いて回る。特に住宅を設計して街と向き合っていると、クライアントから言われるのではなく、有識者たちが「街並みのコンテクスト」について言及してくる場面がとても気になる。それは京都などの歴史的街並みを持った都市の中ではなく、東京の雑多な建築の集積の中であってもそうだ。

 この「街並み」という、一見お行儀の良さそうな記号を使えば、都市について論考しているような気になってくるのかもしれない。果たして、京都のような風致地域や歴史的都市以外のそれぞれがそれぞれの価値観だけでつくりあげられた猥雑な都市の街に、私たちは「街並み」を必要とするのだろうか。

これは、ルソーが『学問芸術論』などで言い回した「逆説」や「アイロニー」からの論考ではない。建築家であれば不可侵の、誰もがその「お行儀の良さ」を認めている「街並み」に対しての、「街並み不要論」として述べているのである。

 そもそも雑多な集積の都市の中に、街並みを持ち込んでコンテクストを作ろうとすること自体間違っているのではないか。「街並み」という記号から導かれるイメージは、美しい街、気持ちのいい街、整然とした街、などが挙げられるだろう。私たちが生活している街を、それこそこのような文脈に沿って論考しようとすることは、思索の上では可能である。しかし、建築家や都市計画家たちがアカデミックな立場から線を引っ張っていく結果を、私たちが街として現実に見ている訳ではない。

では、一体誰がこの街並みをつくっているのであろうか。都市の猥雑な街並みをつくっているのは、建築家でも都市計画家でも、それに付随する有識者の誰でもない。それは、建て売り住宅業者と不動産業者なのである。この現実を前にして、彼らを責めている訳ではない。彼らは彼らのやり方で、この社会を生き抜いているのだから。

 彼らはまるでゲリラのように土地を細分化しながら、商品としての住宅を売り捌く。もし仮に50坪の土地が入手できたならば、迷わずに25坪ずつの2分割を行うだろう。50坪の土地の建て売り住宅では、価格が高く手を出せる世帯が少ないという大義名分の影には、分割して数を増やした方がトータルの利益が出るというロジックが潜む。

 更に踏み込んで言及すれば、できれば土地の上に住宅など造らないで土地だけの転売で早く売り抜けたいというのが、大多数の本音だ。上に住宅を造ればその分いらぬ金がかかるし、工事期間が鬱陶しい。そして何年ものクレーム処理に走らなければならなくなってしまう。

 こう述べると、まるで多くの建て売り住宅業者は、土地を売るために住宅を乗せているだけではないか、と思われるだろう。その通りであると思われてもしかたのない状況なのだ。競売や任意売却などで入手した土地が、そのまま売り抜けられる良い仕入れであれば、転売を試みる業者は多いはずだ。良い仕入れとは、あらゆる手段を講じ安く入手できた土地である。それをできればエンド(彼らは実際にその土地を利用し、住むであろう一般購入者のことをそう呼ぶ。)に高値で売りたい。そしてそうでない土地は、まずプランを付けて売ってみる。プランといっても、私たち建築家が言うプランとはかけ離れた、パズルの間取り図だ。ここで売れないと、ようやく付き合いのある建て売り住宅専門設計屋に設計を依頼する。

 1棟の設計料は、確認申請込みで仕上げ表を付けた設計図書を10枚程度作成し、おおよそ50万円前後だろう。そして施工坪単価35万円程度の木造住宅が出来上がる。彼ら建て売り住宅業者や、不動産業者には、知的生産料の重要性は必要がない。住宅が出来上がるまでの設計料などは、できればいらぬ経費であり、1円でも安くしたいのが本音だ。

 何度も言及するが、多くの建て売り業者や不動産業者の悪口を言おうとしているのではない。建築家として、憂いているだけなのだ。全部とは言わないが、多くの建て売り住宅業者の土地入手から住宅販売のフローは、上述したような流れである。そして、建築家が関わる住宅をヒエラルキーの頂点とすると、その下にハウスメーカーなどの注文住宅があり、最もボリュームの多いゾーンに建て売り住宅が輝いている現実がある。

あらためて考えると、「注文住宅」という言葉は何ていう不適切なニュアンスを響かせるのだろう。そもそも住宅とは、注文して建てるのが当然であると言ってしまいたい。

さて、このようなロジックで街並みに建て売り住宅がスプロールすると、建て売り住宅業者や不動産業者が街並みを生み出し、都市計画家の役割を担っていると言えるではないか。それ故に猥雑で、ある意味魅力的な街並みが生まれてしまうのだ。もちろん、建築の文化を考え、街並みを美しく考えようとしている、素晴らしい建て売り住宅業者や不動産業者がいることも忘れてはならないことを、この「街並み不要論」の最後に付加えたい。

2010年6月15日火曜日

ニーチェの芸術論 アポロンとディオニュソス

 私と同じように哲学の専門教育を受けていないが、哲学が好きで、哲学を自分で探求している人は意外と多い。そういう哲学好きの人が、たまにふらりとバーの扉を開けてくれる。先日もウエブサイトで哲学とバーで検索し、初めてこのバーに足を踏み入れてくれた人がいた。
 そのW氏が薦めてくれたのが、アンドレコント=スポンヴィルという哲学者の『資本主義に徳はあるか』という著作である。私はスポンヴィルという哲学者を知らなかったし、その著作にも触れたことはなかった。このありがたいサジェスチョンから、スポンビルの思想に触れることが楽しみだ。
 独学で哲学を思索していると、研究者のように幅広い知識や情報を得ることができない。私は恥ずかしくもなく、知らないことを知らないと言うようにしている。そうすると、いろいろな人が、いろいろなことを教えてくれる。このようにして、私の拙い思索の系譜が広がっていくのだ。

 そのW氏と酒を飲みながら話すうちに、ニーチェはどのように芸術を語ったのだろうか、という話題になった。私はバックカウンターの、酒の棚に挟まれてある本棚から2冊のニーチェの本を取り出し、カウンターの上に置いた。私が愛読している藤田健治と三島憲一が著した著作である。

 ニーチェは、ギリシャ悲劇がどのように起こり、どのように亡びたか、ギリシャにおける悲劇的なものは何をその根底にしていたか(1)、という問題から説き始め、芸術論を展開させている。では何故ニーチェがギリシャ悲劇を論考しようとしたのか、ということは、三島憲一の「『ニーチェ』第三章 第一節 ギリシアへの夢」を参照することで、想像がつく。
 ニーチェが古典文献学を学んでいた学生時代、古代ギリシャの厳密な学問的研究から学んだ(2)知識が、ギリシャへの憧れを形成していったのだ。その憧れが、ギリシャ文化自身の相反する二つの方向がある、アポロンとディオニュソスという神々(3)を引用することで、自分の芸術論を位置づけようとしたとする私の考察は、後述するショーペンハウアやワーグナーとの関係と共に、ニーチェがギリシャ悲劇を論考した理由の一つとして数え上げてもいいだろう。

 三島憲一によれば、ディオニュソスとは生の根源にうごめくほの暗い名称であり、酒と狂乱の神であり、衝動と情念の世界の原理とされる。(4)それに対し、アポロンは光にあふれた形態の世界の原理であるという。(5)ディオニュソスが「生命の祝祭」であると同時に「性的放縦」を意味していたのと同様に、アポロンは美しい形態の神であるとともに、また場合によっては、生命の自然な発露を押さえ、抑圧する形式万能主義の神でもある。(6)

 ニーチェがこのように自身の芸術論を語ろうとした背景には、音楽への愛があった。ニーチェによるワーグナーへの憧れと邂逅、そして別離。その時代の中でニーチェが触れたのは、悲劇的なものはギリシャを超え現代に及び、それはワーグナーの生み出した楽劇の核心でもあり、やがてまたそれは生きんとする意志の現れであった。(7) 

 ニーチェは、ルソー、ゲーテ、ショーペンハウア三人を、近代が立てた三つの人間像として挙げている。(8)ルソー的な人間がときとすると権謀術策を弄するカティリナ的な人間となるように、ゲーテ的な人間は時代に妥協し協調する俗物的人間となる。これらに対し、ショーペンハウア的人間は誠実から進んで苦悩を引き受ける人間であるとする。(9) このショーペンハウアに見出される同じ悲劇的英雄を、ニーチェはワーグナーのうちに見ている。(10)

 このような過程を経て、ニーチェはショーペンハウアの哲学からディオニュソス的なものの方が根源的直接的であり、アポロン的なものは第二次間接的であるとする見方をする。(11)
 もう少し分かりやすく論ずれば、アポロン的芸術は理念を仲介として具体的に描写し、その限り現象の世界における一定の時と所にしばられた個の枠から離れられないのに対し、ディオニュソス的芸術は、わき上がる情熱的な歓喜の中に個の枠が吹き飛ばされて、すべてのものの根源と一つになってとけこむ体験を与えるのである。(12)そして、本来音楽の精神は、陶酔的感情的なディオニュソス的なものであるとニーチェはいう。(13)

 ニーチェ は、ショーペンハウア、ワーグナーを通してこのような芸術論を語るのであるが、その根底にはニーチェ特有の人間が持つ永遠の生命の存在が叫び続けられているのが見て取れる。
ニーチェの芸術論においては、悲劇は私たち人間に向かってあるがままの自然のあるとおりであれ、という。あるがままの自然とは、たえず移り変わる現象の中で永遠に生み出してやまず、すべてを存在させずにいない生命力のことであり、現象の変化のうちに永遠に生き続ける創造的生命のことである。(14)
 これはまさに、ニーチェがこの後展開させる永劫回帰や超人という思索に通じる論考に他ならない。

なにげなくカウンターの上に置いた二冊のニーチェから、思いがけずに芸術論から人間の永遠の生命を探求することができた一夜だった。

1 藤田健治 『ニーチェ』p.32.
2 三島憲一 『ニーチェ』p.47. 
3 藤田健治 『前掲書』p.33.文脈により筆者が改編する。
4 三島憲一 『前掲書』p.69.
5 三島憲一 『前掲書』p.69
6 三島憲一 『前掲書』p.70文脈により筆者が改編する。
7 藤田健治 『前掲書』p,32文脈により筆者が改編する。
8 藤田健治 『前掲書』p.63
9 藤田健治 『前掲書』p.63
10 藤田健治 『前掲書』pp.63f.
11 藤田健治 『前掲書』p.34.
12 藤田健治 『前掲書』p.35.文脈により筆者が改編する。
13 藤田健治 『前掲書』p.36.
14 藤田健治 『前掲書』pp37f..
参考文献
藤田健治 『ニーチェ』中公新書1994年
三島憲一 『ニーチェ』岩波新書1993年