2012年10月12日金曜日

ヴォルテール 『カンディード』を読む

ヴォルテールは、18世紀を生きたフランスの哲学者であり啓蒙思想家である。
ルソーへの批判、確執が知られているが、『リスボンの災禍に関する詩』を発表したことでも有名であった。

1755年11月1日に起きたリスボン大震災は、6万人を数える死者を出した。
大きな津波が発生し、1万人以上が津波により亡くなったという。

マグニチュードは9であり、2011年3月11日に起きたマグニチュード9の東日本大震災と同じ規模であった。
18世紀とは防災のスペックが異なるとはいえ、現在まで発表されている東日本大震災の死者数2万人に比べ、いかに大きな地震であったのかが理解できるだろう。

『カンディード』は、1758年1月に書き始められている(1)
第5章では、主人公のカンディード達がリスボンに到着し、大地震に遭遇する描写が挿入されている。

2005年に第1刷が発行された植田祐次訳の本書を、2011年第9刷版で私は最初に読んだ。
その後古書店で、1956年に第1刷が発行され1981年の第27刷版の、吉村正一郎の訳書を見つけ買い求めた。

二人の訳者の、異なる描写を楽しむ醍醐味を味わったが、我国でこれほどまでにヴォルテールが読まれていることを私は知らなかった。

カンディードは男爵の娘キュネゴンドを、初めて出会ったときには類い稀な美人だと思っていて、結婚を熱望していた。

しかし紆余曲折の後、旅の最後にキュネゴンドと再会し一緒に暮らすことになるのだが、そのときカンディードは、あれほど結婚を熱望していたキュネゴンドに対し結婚する気などさらさらないと思い、しかもキュネゴンドはひどく醜かった、とヴォルテールは描写している。

ヴォルテールの実生活の影、そのぺシミスム、アイロニーの描写がそうさせたのかもしれないが、女性の美を軽視するようで、私は『カンディード』はあまり好きにはなれない。

1745年から46年にかけて、ヴォルテールの心にはぺシミスムの影が忍び寄っていた。
彼がシレーでシャトレ侯爵夫人と垣間見た幸福と静かな生活、愛と英知についての夢に、予測のつかない気まぐれな実生活が侵入しつつあったからである。
五十の坂を越えた彼を容赦なく病魔が襲った。
シャトレ夫人との愛にしばらく前から倦怠を覚えていたヴォルテールは、44年頃から、浪費癖があってあまり貞淑でもなかったが魅惑的な未亡人、自身の姪にあたるドニ夫人に接近していた。(2)

ヴォルテールのこのような実生活が、あれほど恋焦がれたキュネゴンドを醜く描写をして、物語を終わらせているのだ。

植田祐次訳の版には他五篇が併収されていて、『ザディーク』が私はもっとも好きである。

バビロンに生まれたザディークという名の青年が、王妃アスタルテと出会い恋をする。
この始まりは『カンディード』と同様だ。

相思相愛になる二人は引き裂かれ、ザディークは逃げるように旅を始める。
戦争で王は殺され、王妃は売られていくが、最後までザディークはアスタルテをあきらめない。

最後は困難の末に、アスタルテとやっとの思いで結ばれるハッピーエンドの物語であるのが、私の琴線に触れた。

そのラブストーリーも素晴らしいが、私が気になった描写は別のところにあった。

旅の後半にザディークは隠者に出会い、その隠者を尊敬する。
ザディークと隠者は旅を共にするのだが、尊敬する隠者は、質素ではあるが二人に食事を提供してくれた家に火をつけたり、精一杯のもてなしをしてくれた未亡人の甥を殺してしまう。

ザディークは怒り、訝しがるが、隠者は「人間たちは、なに一つ知らずに全体を判断する(3)と言う。
隠者は、天使ジェスラードであった。

二人に食事を提供してくれた家に火をつけたのは、家を消滅させるとその下から財宝がでてきて、質素な主は大金持ちになるのである。
未亡人の甥を殺したのは、甥が大きくなるとその未亡人を殺してしまうからであった。

天使ジェスラードは先のことが全て見えているが、私達人間は、今起こっていることと先のことの因果関係を知らない。

私達は混沌とした現在を生きていると、誰もが自分に降りかかってくる理不尽なことに遭遇する。
その時に、私達は誰かを、そして何かを恨むだろう。

私は『ザディーク』を読んだ以後、自分に理不尽なことが起きた時には、これでよかったのだ、と思うようにしている。
神の摂理が働き、私をこのようにしているのだと。

そう思えば、やりきれない思いを自分の中で咀嚼できてしまう。

心のありようは、自分で簡単にコントロールすることができることを、私はヴォルテールから学んだ。


(1) ヴォルテール著 植田祐次訳 『カンディード』 解説p.540.
(2) ヴォルテール著 植田祐次訳 『前掲書』p.207.
(3) ヴォルテール著 植田祐次訳 『前掲書』 解説p.534.


  参考文献
ヴォルテール著 植田祐次訳 『カンディード』 岩波文庫2011年