2013年12月31日火曜日

国立新美術館 「Domani・明日展」 

 
黒川紀章が設計した国立新美術館は、夜になると一段と趣を増す。

暗くなったエントランスホワイエの、天井の高い空間の中で空中に浮いているレストランが素敵だ。
ギャラリーの光壁が私を強く覚醒する瞬間に、またここを訪れたいといつも思う。

1214日から126日まで、「Domani・明日展」が開催されている。

文化庁の派遣により海外で研修した芸術家が出展するこの展覧会は、今年で16回を迎える。
今回初めて建築家が参加することになった。

私は1994年に文化庁芸術家在外研修員に選ばれ、イタリアのフィレンツェに派遣され研修をしてきた。

芸術のジャンルのアーティストを海外に派遣する文化庁の制度に、建築のジャンルが加わったのは1983年で、1960年代から始まったこの制度の中では比較的新しい。

現在は、文化庁新進芸術家海外研修員と制度の名称が変わったが、文化庁が派遣する芸術家の仲間に建築家が加わったことで、建築が芸術のジャンルの一員として認められたと言えるかもしれない。

建築の設計と対峙する時、建築は芸術の表現であるのだろうか、という問題意識がいつも私の頭を過る。

建築は芸術の王である。

いや、かつては建築は芸術の王であった、という言葉の意味は、建築家であるならば誰の頭にも刻まれているはずだ。

まず最初に、王のための神殿があった。

その広間に飾るための絵画が生まれる。

晩餐の宴に耳を傾ける音楽も生まれた。

美しく舞う舞踏や、空間に語りかける彫刻も、全ては神殿が造られたことにより生まれた芸術ではないか。

この文脈から、私たち建築家は芸術の始まりが建築であったことを違和感無く心に思い、そして誇りにしているのであった。

しかし現代の都市を見て、街並みを歩く時、建築を芸術だと捉える人は誰も存在しない。
建築家であっても、この時代の建築が芸術であると心思う人は誰もいないだろう。

古代の、王一人が君臨して建築を生み出し、芸術を創造してきた時代と現代は別の世界である。

しかし建築家誰もが理解しているこの一文で全ての建築家が納得しようとも、私だけは抵抗したいと思ってしまう。

経済のしがらみ、ビジネスとしての建築、私たちを取り巻く世界は混沌としている。
設計料で生きている建築家がその恩恵にあずからずに生きていき、建築は芸術だと遠く吼えたとしても、それが正論であると認められる社会ではない。

現代において、建築を構想するときに建築が芸術として存在するためには、私はどのように生きていかなければならないのだろうか。

その大きな問題意識を抱えながら、文化庁芸術家在外研修員としてフィレンツェで研修した期間に、私は拠り所を見つけられたような気がした。

建築だけが芸術として残っているだけではなく、都市全体が芸術で溢れているフィレンツェでは、建築家だけではなく一般市民であっても、建築は芸術であると当然のように認識している。

建築は芸術であるのだろうか、と悩む建築家や市民は誰もいない。

それであれば、私はこの困難な現代で、私の目指す芸術である建築を全うするためにだけ生きなければならないのが、必然であるだろう。

私は、音楽や彫刻や絵画と同じように、人々を感動させ心を揺さぶり、ある時は疑問や怒りさえも生じさせる建築を生み出したいと考える。

経済や社会の様々なしがらみを乗り越えて、現代社会の中で異端であり狂った建築であったとしても、それをつくり続けていきたいと思うのだ。

Domani・明日展」では、構造家・名和研二氏と設備家・遠藤和広氏の協力を得て、「100年後の未来の家」を構想した。

私たち出展者の建築家には、漠然とした未来の家、というテーマが与えられた。

私は、フィクションの世界ではない、100年後のリアリティを構想した家とコミュニティのあり方をプレゼンテーションしている。

多くの企業や人の協力を得て完成したこのプレゼンテーションは、会場の中で一際輝いている。