2012年7月31日火曜日

宵越しの金を持たない

暑い夏の日の夜、八十歳を超えた私の母がどじょうを食べに行きたい、と私に言った。

私はその言葉を聞いて、母は死ぬまで江戸っ子だと思い嬉しくなった。
母の世代に比べ、私の世代になると江戸っ子気質は希薄になっている。
今の若い世代にとって、日常にどじょうを食べるという親から受け継いだ習慣など、皆無に等しいだろう。

江戸っ子を自慢しようとしているのではない。
誰でも、自分の故郷を愛する気持ちを持っている。

私が小学生の頃、夏休みに同級生たちは「田舎」に行き、カブトムシやクワガタムシを採ってきて自慢していた。
父や母の実家の地方を「田舎」と言う概念など、小学生の私にあるはずもなく、「田舎」とは山や海のある、この東京とは違う自然豊かな場所であると認識していた。

私の父は神田で生まれ、母は新宿で生まれる。
父と母は神田明神で結婚式を挙げ、墓は谷中の寺にある。

これが、典型的な東京の庶民の姿であり、江戸っ子と言われていた人たちだろう。
だから夏休みに実家に帰り、自然に親しむという醍醐味を味わうことができなかったのは当然である。

しかし大人になって、誰もが故郷を愛するように、私も江戸っ子であって良かったと思うようになっていた。
父が、父の代で神田を離れ荻窪に来たことが、「俺の代で、江戸っ子を切ってしまった」と言っていたのが印象的である。

私が経理をお願いしている浅草橋の父の友人は、未だに「ヒとシ」の言葉の使い分けができなく、まだこういう正真正銘の江戸っ子がいるのだと思ってしまうが、私は、代々神田で育ったルーツを継いでいるだけで江戸っ子の仲間入りをしていると、自負している。

弟の車に母を乗せ、どじょうを食べに両国の老舗に向かった。
店に入ると、私たちのような年齢の子供が親と一緒に来ている客だけしかいなかった。

二十代、三十代の客は見あたらない。

母に聞くと、昔は魚屋でザル一杯のどじょうが安く買えたという。
だから江戸っ子の庶民の夏は、どじょうなのだろう。
今は、街の魚屋を見つけること自体が難しくなってきている。
このままでは、親から子へと受け継がれない、どじょうを食べる文化も衰退していってしまう。

この老舗に来ている客の年齢層が、どじょう文化の悲哀を物語っていた。
しかし満席である。

料理は、丸鍋、開いたどじょうの鍋、鯉のあらい、と続く。
駒形のどじょうに比べ食べやすい大きさで、骨が気になることはなかった。
どじょう料理のコースの中に、鯉が入っている。
これが、泥臭いイメージを持たれている川魚を食べる醍醐味である、と私は思う。
決して泥臭くはないのだが、イメージで敬遠されてしまうのだろう。

それであれば、それでもいい、と私は思うことにした。
一般的に敬遠されてしまう泥臭いと思われているどじょうや鯉は、私たち江戸っ子が食べてしまえば良いのだから。

なぜ、夏のどじょうなのか。

暑い夏を乗り切るためのスタミナ確保もあっただろうが、夏のこの時期だけは、どじょうの卵を食することができるのだ。

鍋に、小さなどじょうの卵を、仲居さんが最後に乗せてくれた。

鯉のあらいは、この時期になると鮨屋に出回るいさきのような色合いである。
薄くほのかなピンク色をした身に、血合いの筋が大きく彩られている。
食感は非常に力強く、山葵醤油と酢味噌で食べた。

どじょうを食べながら、母が昔の話をする。
私の祖父は、息子である父に「宵越しの金を持つな」と言っていたという。

宵越しの金を持たないことはやめて、貯金をしなさい、ではない。
江戸っ子の、典型的な気風を持っていた祖父の言葉に、父は貯金をしなければダメだと思ったという。

私は母の話を聞いて、嬉しくなった。
「宵越しの金は持つな」と言うなんて、なんてカッコいい祖父であろう。
そんな言葉は、息子に掛ける言葉ではない。

それを平気で言ってしまう祖父。

この言葉を、今の政府に言ってやりたいと思った。
財政再建という美談に向け、消費税を上げ、経済をますます縮めようとしている。
財布の紐がますます固くなる世の中に、私は宵越しの金は持つな、と声を大きくしたい。

私たち一人一人がお金を使い、経済が回るようにしなければならないだろう。
宵越しの金を持たない江戸っ子気質を、日本中に浸透させなければならない。