2012年6月18日月曜日

プラトン 『饗宴』での文学的構造に対する考察


プラトンの『饗宴』は、哲学書を超えた、素晴らしい文学書である。

『饗宴(シュンポシオン)』という表題の原意は、「一緒に(シュン)飲むこと(ポシオン)」である。
「飲む」とはこの場合、酒(ワイン)を飲むことであり、「シュンポシオン」とは、要するに「飲み会」のことである(1)

『饗宴』とは、この酒宴という人の集まる場を借りてプラトンが著した、プラトンの哲学を表現した「文学」であると私は考える。

『饗宴』は、プラトン四十代後半の作品、すなわちプラトン中期に位置する作品ということになる(2)
従って、これまでの研究によれば中期作品群のソクラテスは、著者であるプラトン自身の見解を表明するものと考えられている(3)

私は、『饗宴』の文学的構造に着目した。
それを述べる前に、『シュンポシオン』という著作は、プラトンの哲学を表現する作品であるが、これは当時の一つの文学的形式であることを確認したい。

プラトンと同時代のクセノポンが、『シュンポシオン』という作品を著している(4)
この他に、紀元後一世紀、ローマ時代のブルタルコスにも『シュンポシオン』という作品がある(5)

ということは、現存していない作品も数多く著された可能性も、否定できない。
このことにより、『シュンポシオン』は当時の文学的形式のプロトタイプとなっていたことが、容易に想像できる。

私が着目した『饗宴』の文学的構造とは、二つの二重構造が入れ子のように組み込まれていることである。

一つ目の二重構造は、物語導入部分に現れる。

『饗宴』の酒宴の様子は、プラトン、すなわち登場するソクラテスが見た様子として書かれているのではない。
アポロドスという人物が、友人たちに酒宴の様子を報告する形で物語は進む。
そして、この報告者アポロドスも、酒宴に参加していたわけではない。

アポロドスは、アリストデモスという酒宴に参加した人物から聞いた話を、友人たちに語る。

語り手のアポロドスが聞いた「参加者であるアリストデモスから聞いた話」を話す、という入り組んだ文学的構造がここには存在する。
最初のこの二重構造が、『饗宴』の文学的形式に影響を与えているのではないかと私は考えるのだ。

二つ目の二重構造とは、参加者の演説を、前後に登場させる酒宴の様子で包み込んでいることである。

『饗宴』の骨格は、パイドロスからアルキピアデスに至る登場人物の演説である。
左に座っている人から、反時計回りに演説者がエロースについて論じていく。

このエロースの内容、そこでアリストパネスが語る、私たち誰もが知っている後世に伝わる有名なミュトスになった、相手を探す恋愛論については、別の機会に述べたい。

パイドロスの演説が始まる前に、宴の導入部分としてこの日の酒宴の様子をプラトンは登場させる。
そして一連のパイドロスからアルキピアデスまでの演説を終了させたあと、最後に再び酒宴の様子を描写している。

これは、「パイドロスからアルキピアデスに至る演説」を、前後の「酒宴の様子」で包んでいる大きな二重構造であると考えられないだろうか。

この考察が導かれた背景には、正当な理由が存在する。

なぜプラトンがこのような文学的二重構造を「二重」に存在させたのかというと、物語導入部分の二重構造のメタファーとして、大きな二重構造を構築したのではないかと私は考えるのである。

すなわち、物語導入部分の「アポロドスが話す<アリストデモスの話>」という、話を話で包んだ二重構造を、「一連の演説」を前後の「酒宴の様子」で包んだ二重構造として結実させている、と私は考えるのである。
「話で包んだ話」のメタファーが、「酒宴で包んだ演説」である。

プラトンは『饗宴』の中に二つの二重構造を表現し、文学に空間的な奥行きをつくりあげた。
この、大きなものが小さなものを包み込む入れ子構造は、宇宙に他ならない。

大宇宙から、銀河系宇宙へ、銀河系宇宙から太陽系宇宙へ、太陽系宇宙から地球へと大から小へと入れ子のように連鎖していく。
更に、地球から人間へ、人間から細胞へ、細胞から分子へ、分子から原子へと、連鎖の旅は果てしなく続く。

私は、プラトンが『饗宴』で、宇宙を表現したかったと思わずにいられないのである。


(1)  朴 一功『饗宴/パイドン』p.368.
(2)  朴 一功『前掲書』p.364.
(3)  朴 一功『前掲書』p.366.
(4)  田中 美知太郎『プラトン「饗宴」への招待』p.5.
(5 ) 田中 美知太郎『前掲書』p.10.

参考文献
プラトン『饗宴』 (プラトン『饗宴/パイドン』) 朴 一功訳
京都大学学術出版会 2007年 

田中 美知太郎 『プラトン「饗宴」への招待』 筑摩書房 昭和49年