2013年4月30日火曜日

地中へと志向する妖しい建築

日経新聞の書評を読み、興味を持った1冊の書籍を、仕事の途中で寄った銀座の書店で買い求めた。

『冥府の建築家』。

ジルベール・クラベルという、僅か44歳で亡くなったせむし男の「狂った物語」を、著者・田中純が膨大な資料を読み込み、書き上げた大作である。

ジルベール・クラベルの「狂った物語」とは、どういうものであるか。

バーゼルの裕福な家で生まれたジルベール・クラベルは、イタリアの南、ナポリからヴェスヴィオ山を更に南下した、地中海とティレニア海を分断するソレント半島の付け根に位置するポジターノの監視塔の廃墟を、1909年2月に買い取った(1)

16世紀にイスラム教徒(特に海賊)の襲撃を見張るためにこの町の岬に建てられた、朽ち果てた監視塔をクラベルは改築する(2)

クラベルは長い交渉を通じて徐々に塔周辺の土地を取得し、海に面した岩壁を爆破させて通路を穿ち、居室を刳り貫いていった。

こうして岩壁には四層におよび108メートルの長さにわたる居室と通路の複合体が築かれてゆくことになる。

各部屋には「セイレーンの部屋」、「ダイアモンドの部屋」などという名が付けられた。

落盤をはじめとする数々の困難に直面しながら、羅針盤や占い棒(ダウンジング・ロッド)を用いて地中の空洞が探られ、あらたな地下通路が掘られるとともに、既存の回廊や部屋が拡張されて相互に連結されていった(3)

建築は通常、大地から空に向かって伸びていく。

クラベルの場合は、地中へと向かう妖しい魅力にとりつかれてしまった。

地中、地中へと、狂ったように掘っていく。

裕福な家に生まれたクラベルは、その資金力に物を言わせてプロジェクトを遂行していった。

自由にできるお金があったとはいえ、病魔に侵されながらも己の将来との葛藤の中で最期までつくり続けようとしたクラベルは、当時のイタリア未来派の芸術家の中でも稀有な存在であっただろう。

その大事業を支えたのが、弟ルネであった。

いつの時代でも、兄を支える弟が存在する。

ゴッホを支えた、弟テオのように。

クラベル本人は、決して芸術家としての矜持を誇っていた訳ではないと私は考える。

ベンヤミンやリルケとポジターノの要塞で邂逅していたといはいえ、ジルベールは自分の城をつくることが最優先で、芸術家としての存在を誇ろうとしてはいない。

しかしその行為、生き様は、芸術家以外の何者でもないはずだ。

私たち現代の建築家は、ジルベール・クラベルのような突き抜けた思想を持って仕事をしているのだろうか。

建築家ではないクラベルが、超えることが困難な大きな思想を100年前のイタリアから私たちに投げかけているではないか。

日々のルーティーンに埋没することは許されない。

この素晴らしいアーカイブを発掘してくれた著者・田中純に感謝し、私たち現代の建築家の目指すベクトルを考え直さないといけない。


(1) 田中 純 著 『冥府の建築家』 p.12
(2) 田中 純 著 『前掲書』 p.12
(3) 田中 純 著 『前掲書』  p.13

参考文献
田中 純 著 『冥府の建築家』 みすず書房 2012年