2010年8月12日木曜日

ルソーの生き方に学ぶ

 相変わらず、我が国の年間自殺者数は3万人を下回ることはない。1日100人。他者との関係に疲れ、経済という魔物に苦しめられ、尊い命を自ら絶っている人が何と多いことだろうか。

 その苦しみは、苦しんでいる本人以外の他者には、どれだけのものであるかは分からない。周囲の人がいくらきれい事を言っても、本人にとっては「勘弁してくれよ」というぐらいの、余計なものでしかないはずだ。

 責任感が強く、真面目な人ほど、その責任をまっとう出来なくなると自ら命を絶つという。もっと気楽に生きればいいのに、という言葉は、彼らにとっては私たちの戯言でしかない。性格や気分を変えることができるのならば、とっくにそうしていたはずだ。

 だが、それでも私は気楽に生きて欲しいと言いたい。人間の生きることへの尊厳は、無限の可能性を秘めていると信じているからだ。

 フランス革命に大きな影響を与えた思想家、ジャン・ジャック・ルソーが青年期をどのように生きてきたのかを知ると、私たちは非常な驚きを感じるだろう。

 ルソーは、『学問芸術論』で幸運にも世に出た。その後、『人間不平等起源論』で思想家としての地位を固める。『学問芸術論』では、学問・芸術の有用性を「学問と芸術の追求しているのは、無益で無内容な研究であるばかりか、悲惨な結果を生み出す代物である」として、自分の論を展開する。もちろんこれはアイロニーからのロジックであり、このような否定から入る論述がこの後の著作にも現れ、それがルソー特有のものとなっていく。ニーチェがルソーのことを、「カテリーナ的知的権謀術師」と言わしめた所以である。

 さて、この「知的権謀術師」を彷彿とさせるルソーの思想は、青年期までのルソーの生き方、周囲の環境によって形成されたのではないかと私は想像するのである。ルソーの生まれた当時のジュネーブは独裁国家であり、大多数の平民はこの国に住んでいることを歎いていた。警察は厳しく、密告を奨励してはばからず、ジュネーブ市民の家に引っ切り無しに踏み込んでいった。

 そのような時代の中で、ルソーの母はジュネーブ人を美徳へと導いていた長老会議で、保護観察処分を受けていたという。男装して芝居を見に行ったカドで告発され、命じられた出頭を拒否して「要注意人物」ともなった。

 ルソーの父もケンカ口論を起こして、3回も長老会議の厄介になった。ジュネーブには珍しくない時計職人だったが、その仕事に嫌気が差し、ダンス禁制の町でダンスの教師になって若いイギリス人にダンスを教えた。

 ここまでが、ルソーを生んだ土壌である。このような気概の人物から生まれたルソーが、どのような少年期、青年期を送ったのかは想像に難くない。

 ルソーは就いた仕事にすぐに飽き、職を転々とした。書記の仕事、彫金の仕事に飽きると、ヴァランス夫人というカトリック擁護者の愛人になる。年上の資産家の愛人になる若い青年、という図式は、生活の面倒も見てもらうということに他ならない。そう、常にお金に困っていたルソーは、この後も生活のためにすべからく生きていくのである。

 その後神学生になり、神学校に通ったのはわずか2ヶ月であった。さらには教会聖歌隊の寄宿生となった。その後、音楽の知識はあやふやなのに、自分の名前を変えて音楽教師となる。その後も数々の家庭教師、地積調査員、伯爵秘書などを、生活のために行った。

 そして「ギリシャ正教の大修道院長」といったペテン師がルソーの前に現れ、なんとルソーは、そのペテン師を自分のパトロンにしてしまうのである。

 女性関係も、常套ではなかったようだ。パリで同棲した宿屋の女中との間にできた子供を、孤児院に入れてしまう。現代とルソーの生きた18世紀とでは、常識的な感覚が異なっているのかもしれないが、自分の子供を孤児院に入れる気持ちはどのようなものであったのだろうか。しかも1人ではないのだ。その後も4人の子供をつくり、全て孤児院に入れてしまう。

その後も、ルソーの女性遍歴は続いた。生活に困るとヴァランス夫人のもとへ戻るのだが、新しい愛人がいて追い出されたということもあったようだ。

ルソーが生活に困るのは、いつものことだった。生来の移り気のために職を転々とし、失敗の絶え間もなかった。それでもルソーは偉大な思想家になっていくという驚嘆はあるが、私が言いたいのはそこではない。

私が冒頭で自殺者の数に触れ、そしてルソーの生き様を引用したのは、ルソーのいいかげんな生き方を知ってもらいたいということなのである。

ルソーの青年期までの生き様を見ると、私たちが欲望に忠実に生きてきた、後悔すべき生き方其の物ではないか。しかし私はこれで良いと思う。誰だって、自分の思った通りの生き方なんてできるはずがないのだから。でもその人生に失望することは決してしないことだ。

誤解を恐れずに言えば、生活に困れば誰かの愛人になればいいではないか。ルソーは生きるための大いなる活力を持っていた。自分の性格を修正することはできないから、その活力で自分の失敗をリカバリーしていたのである。

死を見つめて崖っぷちにいる人は、ルソーの生き方を是非参照してもらいたいと思う。その適当さを知り、気楽に人生を見つめ直して欲しい。私が参考としたD.モルネ著 高波 秋訳『ルソー』ジャン・ジャック書房 は、とても読みやすい文章でルソーの思想を説いている。是非一読を薦めたい。

参考文献
D.モルネ著 高波 秋訳『ルソー』 ジャン・ジャック書房 2003年