2011年2月28日月曜日

前衛が消え去ろうとしている理由

最近、ある2冊の文献を並行的に読み解く機会があった。あらためてポストモダンを再考するために、何の脈絡もなく偶然に手に取った2冊である。
しかし読み解いていくと、この2冊が同じ向きを向いていることに気がつき、偶然の巡り合わせに面白く思い、その偶然に感謝もした。

2冊の文献とは、1985年初版の磯崎新著『いま、見えない都市』と、2001年に第1刷が発行された東浩紀著『動物化するポストモダン』である。

磯崎新の『いま、見えない都市』では、全編ポストモダンについて述べられているわけではない。「ポストモダンの時代的背景」、そして「ポストモダンの時代と建築」の項に、この著作ではポストモダンの 論考が集約されている。

東浩紀は建築に近いフィールドでの論考もあるようで、調べてみると2009年に磯崎新に言及したブログもあり、興味深い。

両者のポストモダン論考の背景には、フランスの社会学者ジャン・ボードリヤールから提出された概念、「シミュラークル」が基調となっている。

ボードリヤールはポストモダンの社会では、作品や商品のオリジナルとコピーの区別が弱くなり、そのどちらでもない「シミュラークル」という中間形態が支配的になると予測していた(1)

シミュラークルという概念を加速させる底辺には、「二次創作」という存在があると東浩紀は指摘する。二次創作とは、原作のマンガ、アニメ、ゲームをおもに性的に読み替えて制作され、売買される同人誌や同人ゲーム、同人フィギュアなどの総称である(2)

この視点からの論考は、この著作のタイトルのキャプションに付けられた「オタクから見た日本社会」に象徴される。

それを建築的フィルターに戻すと、磯崎新は世界の建築が「a+u」的になってくる、と述べる。

「a+u」などで、全世界の情報がひろげられる。そうすると、世界中に似たような建築が生まれてくるのもいたしかたない。
記号としての情報はそれがスピーディーにひろがって、数多くの眼にふれると、急に新鮮味がうすれる。記号が消費されていくのだ。
建築のスタイルについても同様で、コピーされ変形され、しぼられたあげくに、使い捨てられる。この消費の仕組みの良し悪しを論じてもしかたない程にそれは今日では一般化し、動かしがたい事実になっている。
そうすると、現実に起こっているものはどこか別なものの引き写しにすぎないというようなことが進行し始める。そういう状況になってきたのがポスト・モダンという時代ではないかと見てとれる(3)

長い引用だが、磯崎新が1985年に指摘した状況が、2001年に、東浩紀によりオタク側からの視点として論考されることが私にはとても興味深い。

磯崎新が述べた、建築のコピー・使い捨ての状況からは、オリジナルが喪失していってしまう。そして磯崎新は、モダンとポストモダンをどこで区切るか、ということにこの著作では言及している。

著作の原文通りに引用したい。


そこで、モダニズムとポスト・モダニズム、あるいはモダンとポストモダンというものを仮定した場合に、それをどこで区切るかということが、まずいちばんの問題になります。
私はこの区切りをアヴァンギャルドが終わったとき、というとちょっと大げさになりますけれども、アヴァンギャルドが効力を失い始めたとき、その時点をこの二つの考え方の区切りにしたいと思うのです。
だから、もし現在がポストモダンであるならば、アヴァンギャルドというのはもはや有効性がなくなった時代であるとみていただいていいと思います。アヴァンギャルドはモダニズムの産物だったからです(4)


「アヴァンギャルドはモダニズムの産物だった」というセンテンスに、私は衝撃を受けてしまった。それでは私はいま、まさにモダニズムのあとの時代を生きているのにもかかわらず、モダンの産物であるアヴァンギャルド、前衛を志向しようとしているのか。

だから、私のような作風では作品として成立することの困難さが、同時代を生き抜いている建築家に比べて重たいのだろうか。

しかしそれでは建築家としてのアイデンティティがあまりにも希薄である。それよりも、私がスタディの手を動かすとどうしてもあのようなデザインになってしまうのだ。
それが前衛であっても、時代に関係なく私の建築をつくっていくことしか私にはできない。
それが、私の生き方である。

磯崎新の『いま、見えない都市』では、サブ・カルチュアについても述べられている。サブ・カルチュアを評価する磯崎新のスタンスが、世界を代表する文化人であるがゆえに、魅力的な位置に立っていると思うのは私だけだろうか。




1 東浩紀著 『動物化するポストモダン』 p.41
2 東浩紀著 『前掲書』 p.40  
3 磯崎新著 『いま、見えない都市』 p.142 
4 磯崎新著 『前掲書』 pp.114f.                                                           

参考文献
東浩紀著『動物化するポストモダン』 講談社現代新書 2010年
磯崎新著『いま、見えない都市』 大和書房 1985年