2012年1月3日火曜日

クリエイティブとは、真似をしないこと

「クリエイティブとは、真似をしないこと」
これは、伝説のレストラン、エル・ブリの格言である。

スペインの田舎、カタルーニャ地方の海岸線沿いにある僅か50席のレストランに、年間200万件の予約が入る。

独創的な料理を提供するために、4月から10月までの半年しか営業をせず、残りの半年は新しいメニューの開発に勤しむという。

どの逸話を取っても、伝説のレストランにふさわしい言葉である。

かつては日本のメディアでは「エル・ブジ」とも表記されていたエル・ブリは、フェラン・アドリア率いる素晴らしいチームが運営するレストランであった。

であった、という過去形の表記をしたのは、2011年7月に惜しまれながらも閉店をしてしまったからである。
その閉店は、2年後に料理研究財団として新たに生まれ変わるためのステップだという。

まだエル・ブリの凄さが日本に完全に伝えられていない頃、それでもグルマンやワインフリークの間には、断片的な情報は入ってきていた。

私はかつて、ビルバオのグッゲンハイム美術館を訪れるために、バルセロナからビルバオをブッキングした際にカタルーニャのエル・ブリを訪れようと計画したことがあった。

しかし、冬の閉店時期だったために、それは叶わなかった。

もし、エル・ブリの完全なる凄さが私の耳に入ってきたならば、エル・ブリの開店時期に合わせてビルバオに行っていたかもしれない。

それほどにも、エル・ブリは焦がれて行かなければならないレストランである。

世界規模での訪れるべきレストランやホテルの新しい情報ほど、日本に入ってくることが遅いと、私は痛感する。

今でも鮮明に記憶しているが、アマンリゾーツの最初のホテル、アマンプリがオープンしたときにも、日本に入ってきた情報はごく僅かであった。

今でこそ我が日本の女性たちに大人気のアマンであるが、オープン当初は日本への情報発信がほとんどされていなかった、と言うと、信じられないと言う人がほとんどだろう。

私がプーケットを訪れようとしたときに、銀座にあったアメックスのトラベルカウンターにさえも、アマンプリのヴィジュアルな情報はなく、文字情報だけであった。

最高のラグジュアリーなホテルは、プーケット・ヨットクラブとアマンプリが併記されていて、ヴィジュアルな情報が完備されていた英語表記のプーケット・ヨットクラブよりも、文字情報だけしかなかった現地的な響きのするアマンプリを選んで、私は後悔しなかった。

こうして、オープン当初のアマンプリを訪れることができ、それ以来アマンリゾーツの虜になってしまう。

建築家、ハンス・ホラインに会いに行ったときに滞在したウイーンのシャトーホテル、パレ・コブルグも、まだ日本では誰も知らないだろう。

しかし数年後には、日本でブレイクするはずである。

世界中にある、まだ知らない素晴らしいレストランやホテルを訪れてみたいと思っているのは、私だけではないだろう。

このエル・ブリの、とてつもなく素晴らしい料理の数々を食べることの出来た人は、本当に幸せである。
料理と言う概念を覆した、創造性と斬新なコンセプト。

公開された映画、「エルブリの秘密 世界一予約のとれないレストラン」を鑑賞すると、フェラン・アドリアの生み出す料理は、料理を超えて芸術であることが誰の目にも理解できる。

フェラン・アドリアは、2007年ドイツの現代美術展ドクメンタ12にも参加した。
ドクメンタ12は、20世紀の重要な前衛芸術運動として、ピカソやモンドリアン、マティスを取り上げたり、ヨーゼフ・ボイスの作品を展示したりする、世界でもっとも重要な美術展の1つである。
もちろん、美術展に料理人が参加するのは初めてで、これは世界がフェラン・アドリアを芸術家として認めたことに他ならない。

食材を真空化したり、液体窒素で瞬間冷凍する。

エスプーマという泡立て手法を考案し、医療用のオブラートから食材を包む手法をインスピレーションする。

それは料理というよりは、美しい現代美術にも匹敵する創造物である。

「クリエイティブとは、真似をしないこと」
私たち建築家も、肝に銘じなければならない言葉だ。

参考文献
映画「エル・ブリの秘密 世界一予約のとれないレストラン」 パンフレット

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